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2007年3月16日 (金)

ホント、河野とか言う男は

実に二週間ぶりの更新、東雲一葉でございます。
本当ならばもう少し頻繁に更新すべきなのでしょうが、現在スケジュールが込みこみでなかなか時間が割けない状態でございます。
ご閲覧くださる皆々様方には申し訳ありませんが四月頃から本格的に活動できると思いますので、それまで見捨てないでいただけますと幸いでございます。

さて、そんな久々の今日はこんな話題を取り上げたいと思います。
ここからおみょ的思考に入りますので文体変更でございます。

最近、またぞろいわゆる『従軍慰安婦』の問題が言われている。
もううんざりなさっている方も多いかと思われるが、やはりアメリカにおけるかの非難決議案のおかげだろう。
ネット上においてもしきりに話題に上がっているが、これを受けて安倍首相や外交関係者がしきりに不快感を示し、一部議員の中にはその根拠の一となっている河野談話や村山談話を見直そうという動きが広がっていることも、もはや周知であろう。
それについて、こんな毎日新聞の記事を見つけたので紹介したいと思う。

<以下引用>

<慰安婦問題>河野衆院議長「談話は信念をもって発表」
3月15日20時9分配信 毎日新聞

 河野洋平衆院議長は15日、従軍慰安婦問題に関する自らの官房長官談話(93年)の見直し論が自民党内に出ていることについて、国会内で記者団に「談話は信念をもって発表した。あれはあの通り受け止めてほしい」と述べ、不快感を示した。同談話は従軍慰安婦問題について旧日本軍の関与を認めて謝罪する内容。 

<Yahoo Newsより>

私はこの記事を見たとき、呆れて言葉を失った。
もはや広く知れ渡っていることではあるが、いわゆる従軍慰安婦の強制連行というものは吉田清治のデマであり、この河野談話が発表されたときにも旧日本帝国軍がこの問題に直接関与したという証拠は、当然であるが発見されていない。
これについては実際、平成9年3月12日の参議院予算委員会で平林内閣外政審議室長が答弁しているし、石原信雄氏も産経新聞のインタビュー(1997年3月9日産経新聞)に対して同様の発言をしている。
さらには河野洋平自身が「『政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を駆り出した』と書かれた文書があったかといえば、そういうことを示す文書はなかった。けれども、本人の意思に反して集められたことを強制性と定義すれば、強制性のケースが数多くあったことは明らかだ(1997年3月31日朝日新聞)」と、まさに事実無根で談話を発表したといった趣旨の発言をしていたりする。
それでもって「物理的証拠や、本人の他の人にはわかり得ない話などを踏まえて発表した。確信を持っている(1997年10月6日産経新聞)」と述べているのだ。
とどのつまり、証拠は無いけどあったと信じる、と、そういったわけである。
明確な証拠が無ければ有罪とできないなんていうのは有名な話であるが、この男はそれを真っ向から無視してくれたのである。
そして今回の発言。
これが『談話は発見された証拠について精査を行い、これを根拠に発表した』というなら話は分からないでもないが、彼の『信念』とやらで発表され、あまつさえそれを信じろ、疑うなと、そういっているのである、あの男は。
どうやら河野洋平という男の頭には『誤りは修正すべき』という、至極当たり前の常識が欠如しているらしい。

確かに政府が責任を持って発表した内容が二転三転とすれば、他国からの信用が危ういものになるだろう。
しかし、いやだからこそ、誤った情報については政府、ひいては国家が責任を持って修正すべきではないだろうか。

そんな根拠の『こ』の字も無い主張で隣国にゆすり、たかりの口実を与えているのだから、この河野とか言う男は真性のマゾではないかと、私は勘ぐってしまうのである。
いや、別に彼の性癖をどうこう言うつもりは無いのだ。
それを言えば私など二次ヲタ。
一般にはより卑下される性癖だろう。
自分でも何とかしようとは思うが、いやはや……。
いやまあ、それは余計な話として。
ともかく、誰それの性癖をどうこう言うつもりはさらさら無い。
ただ、それを他人に強制するのは勘弁いただきたいのである。
私は私が二次ヲタだからといって他人にまで『二次ヲタになれ』と言ったことは無い。
だが、あの男はそれを強制しているのである。
もう呆れを通り越して怒りすら覚える。
そして根拠無くそれを声高らかに批判する韓国の連中には、憤慨というのも生ぬるいほどの感情を抱くのである。

私は、現在は帰化し日本国籍を取得したが、元の本籍は韓国済州島に置いた在日三世であった。
そして明確な証拠を提示し議論するべき科学に携わるものである。
然るに私と同じ祖先を持つ彼らが、確たる証拠を示さずにやいのやいの言ってる様はどうにも頂けない。
何故我ら民族とその祖先の顔に泥を塗るのかと、そういった感覚なのである。
むしろこんな無責任な談話を発表した日本に対し、『本当にそんなことがあったのか?』と問い詰められる者こそが、真に誇れるべき民族であろう。

……いや、白状しよう。
こんなえらそうなことを言っているが、実のところ、かつては私も反日韓国人であり、従軍慰安婦はいたと思っていた。
言い訳のつもりは無いが、当時私は小学生、学校で得る知識が全てだった。
それに対し、きちんと根拠を示しつつ議論しろというのは、いささか無茶というものだろう。
そんな私が、自身が在日韓国人であり、祖父母の代に韓国、済州から渡ってきたと知ったのだ。
あの教育内容で、反日にならない在日韓国人はいるまいて。
そして私自身、その例から漏れなかったのだ。
寸分の疑いなく、私は昔の日本は鬼畜であると思っていた。
しかし、あるときその価値観が根底から崩れたのだ。

最初は何気ない話だったと思う。
それが徐々に過去の大戦の話になり、そして韓国人の話になった。
私は学校で習った知識を総動員し、祖父に実際どんな経験をしたのかを問うた。
そのとき私はてっきり祖父が気色ばんで日本の悪行を批判するものだと思っていた。
しかしそんな私の予想を裏切り、祖父は「?」といった顔でそんなことは特に無かった、と言うばかりであった。
私は従軍慰安婦や強制連行などの具体的事項(と当時は思い込んでいた)を列挙してみたが、そんなことは見たことも聞いたことも無いと、そんな答えしか返ってこなかったのである。
断っておくが、別に私の祖父は(既に他界しているが)親日派というわけではない。
実の息子と刃物振りかざしてやり合うような激情家で、我が母に日本人との結婚はおろか、付き合うことすら許さなかった我が祖父が、誰とも知らぬ日本人をかばうなどこれっぽっちもあり得ないのである。
つまり祖父は本当にそんな話を聞いたことも、ましてその現場を見たことも無く、その事実を私に語ってくれただけだったのだ。
学校と家だけが世界だった当時の私は驚愕した。
どちらも真実であると信じていたのに、その真実たちが互いに相反するのである。
ここでもし教師の言うことが絶対と思う『模範的』児童であったなら、私は祖父の言葉に耳を貸さなかっただろう。
しかし私は幸いにして『爺ちゃんっ子』であった。
そんな祖父の言葉を聞いて『なにやらおかしいぞ』と思い始めたのである。
そして教育系大学に入学してから知った日教組だの何だのというピースが、その疑惑のパズルにぴったりとはまった。
もちろん、そこは根拠を必要とする科学を信奉する私である。
無為にいわゆる従軍慰安婦はなかったというつもりはさらさらなかった。
祖父のいった言葉が局地的な話であるという疑いだってあったのだから。
そこでいわゆる従軍慰安婦があったという仮定に基づき、いろいろな資料をあさってみた。
日本共産党にメールでその根拠を尋ねてみたこともある。
しかし得られる応えは彼女らの『証言』だけであり、客観的証拠は何一つ見つからなかったのである。
それがあったと主張する日本共産党ですら『証言』しか『証拠』を示せなかったのだ。
そうするとそれは単に私の調査力不足によるものではあるまい。
そうなると、少なくとも科学的な観点に立てば、従軍慰安婦は無かった、いや、あったとかなかったとかいう議論そのものが成り立たないことになる。
科学においては議論の根拠が存在しなければ、議論そのものが無駄であるからだ。
だが、だというのにそんなあやふやな土台の上に立って議論しようという人間は、先の河野洋平しかり多いのだから恐れ入る。
とかく奇怪なのは、生粋の日本人であるはずの我が友人がいわゆる従軍慰安婦を肯定し、在日韓国人であった私がそれを否定する、そんな状況がたびたび生まれることである。
国際的に見れば立場が逆転してしかるべきだと思うのだが、この日本という国ではそんな奇異な状態が存在するのである。

日本はそろそろそういった日本人を生み出してしまったことを反省し、きちんと自国と自国の歴史に誇りを持てるよう歩んでいくべきではなかろうか。

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2007年3月 2日 (金)

『オイ・ワイ』禁止条例って……

HDDのデータが吹っ飛び、泣く泣く復旧作業に追われたここ数日。
せっかくブログを立ち上げたのにと口惜しい思いをしておりました小生ですが、ようやっと復旧の目処が立ち、とりあえずはホッと胸を撫で下ろした次第である。
そんなわけで何かブログのネタはないかなぁとネット上を徘徊していたのだが、しかしてこのような記事を目にした。

<以下引用>
「オイ・ワイ禁止条例」構想 市役所へ賛否続々 佐賀・武雄市

 女性配偶者を「オイ」「ワイ(方言でおまえの意味)」と名前なしで呼ぶのを禁止しようと、佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長が提唱した「オイ・ワイ禁止条例」構想が、熱い議論を巻き起こしている。市長のブログ(インターネットの日記風サイト)や市役所に、全国から数十件の賛否の声が寄せられた。反響の大きさに驚いた樋渡市長は1日、市幹部を集めて「男女共同参画社会の本質を議論してもらうのが狙い」と真意を説明した。

 樋渡市長は、2月20日の女性団体との会合で「男女共同参画社会実現には男性の意識改革が不可欠だ」と話し、条例構想を発案。翌日からブログへの書き込みや市役所への電話が殺到した。

 主な反対意見は「『オイ、ワイ』と呼ぶのは愛情表現の1つ」「条例での規制は憲法の思想・信条の自由に反する」などで、大阪の男性からは「ワイ(関西弁で私の意味)と言ってなぜ悪い」との声も。一方「(オイ、ワイが)相手を尊重しない呼称であることを再認識した」「市長自ら発言してもらいうれしい」との激励も寄せられた。

 樋渡市長は「(男女共同参画を)身近なところから考えてもらいたかった。議論が沸騰したおかげで、かなりの部分で目標を達成したかもしれない」と話しており、条例を制定するかどうかは今後、市民の意見を聞きながら決めるという。


<YAHOO News 3月2日10時7分配信 西日本新聞>

先月20日に構想をぶち上げたらしいのでもう各所で語られているのかもしれないが、しかしなんとも馬鹿げた提案ではなかろうか。
樋渡氏がどういった心境でこの構想をぶち上げたのかは知らないが、もし大真面目にこれを提案したのなら私は樋渡氏の市長としての適正を疑う。
確かに「男女共同参画社会実現には男性の意識改革が不可欠だ」という氏の言は分かるし、実際そういった考え方が増えてきており、それが社会システムに反映されつつあることも事実である。
そういった点で氏の言わんとしていることはよく分かる。
しかし、だからと言って「オイ・ワイ禁止条例」というのは、いささか発想が飛びすぎているのではなかろうか。
彼は『オイ・ワイ』という言葉が男尊女卑の主従関係を作り出していると、本当にそう思っているのだろうか。
確かにそういった言動をする夫に対して反感を覚える妻がいる、という話は聞いたことがある。
もちろん名前がある以上、それを呼んでもらったほうが心地よいということは分かる。
しかし、そういったことを気にしないような夫婦も、また確実に存在するのである。
私事で申し訳ないが、我が両親においては基本的に『オイ・ワイ』の関係である。
しかし夫婦仲は円満であり、もう三十年近くのんべんだらり……もといのんびりとした関係が続いている。
少なくとも我が父が『おい』ということについてヒステリックに反発する母というものを、私はとんと見たことはない。
結局その程度のことは気の持ちよう次第で何とでもなるのである。
私自身、教授などに『おい、ちょっとこれやっといてくれ』とまま言われるわけであるが、それが取り立てて不快であるということはない。
結局私の中ではそれが普通であり、またそんなことでいちいち怒っていられるほどの暇もありはしない。
だもので、この禁止条例に「(オイ、ワイが)相手を尊重しない呼称であることを再認識した」「市長自ら発言してもらいうれしい」なんて賛同する発言は、いささか細かすぎると感じるのである。
大体何故「(オイ、ワイが)相手を尊重しない呼称である」のかさっぱりだ。
「おい、これ頼む」的な、少なくとも相手を信頼していなければできないような発言を、彼(彼女?)はどう思っているのだろうか。しかるにそれを『再』認識できるのだから、いやはや大したものだと思う。言っては悪いが、物事の本質を理解せず表層を見てぐりぐりねちねちといらんやり取りを繰り返す某社民党だとか、そんな連中を髣髴とさせる。
というか、奴らと繋がりのある連中じゃないのか、こいつらって……。
まあ、確証があるわけではないが。

ともかくそんな、言ってしまえばくだらない、しかし成立させるには時間も労力もかかり、後々弊害が出るような条例の構想を、かの市長はぶち上げたのである。
そんなことよりもっと重要な問題があるにもかかわらず。
別にそれを言うなとは言わないが、仮にも一つの市の市長である。
もっと重要な、より本質的な問題に対する解決策を提起してはいかがだろうか。
もしそういった問題が不得手で、お茶濁し的にこういった提案をしたならば、私は彼の市長たる資質を疑うし、あるいは、到底信じられないことではあるが、もし彼が本気でこの条例の必要性を感じ、かつ他の諸問題よりも重要であると認識しているのであれば、もはや政治家としての資質を疑う他ない。
そんな表層的なことに捕らわれて物事の本質を見抜けないような阿呆に政をさせるわけにはいかない。
幸い「男女共同参画社会の本質を議論してもらうのが狙い」としているあたり、前者であるのだろうが。
ただ、条例を制定するかどうかは今後、市民の意見を聞きながら決めるとかしているあたりがいやはやなんとも……。
失言だなんだかんだといちゃもんを付け、国会をサボタージュしていたようなどこぞの馬鹿政党といい、どうにも最近、本質的な思考をできない政治家が増えている気がする。
かく思う、自らの頭には脳みその詰まった人間を頂きたい、と。

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