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2008年2月13日 (水)

いじめ対策 どちらかと言うと意識変革

 とゆーわけで東雲です。
 ん~、やっぱしムラが多いなぁ……何とかしないと……。
 
 さて、ともわれ本日は連投2稿。
 まず最初の記事はこちらでございます。
 ご覧ください。

<以下引用>

「いじめをしません」 舞鶴・白糸中 バッジで宣言
2月12日19時19分配信 京都新聞

 京都府舞鶴市の白糸中(浜)で12日、「いじめをしません」と宣言してバッジを付ける取り組みが始まった。いじめ被害は口頭で友人や教職員に訴えにくいことから、いじめを見かけたり、いじめられた時はバッジを外してSOSを伝える試み。
 一昨年秋、部活中などに衣服がなくなる出来事が相次いだため、学級単位で「いじめをしない」というスローガンを廊下に張り出すなど、再発防止活動を進めてきた。
 オリジナルバッジは金属製。円形で直径2・5センチ。表面の模様はハートマークを両手で囲む生徒の案を採用した。美術教員が淡い緑と黄色で色づけし、「HotHeartShiraito(温かい心白糸中)」との文字を添えた。
 1年生と3年生はそれぞれ、「みんなと仲良くします」「誰とでも笑顔で接します」と後野文雄校長に誓ってバッジを受け取り、胸元に着けた。2年生には13日に手渡す。教職員も付ける。
 後野校長は「いじめ被害を言いにくければバッジを外してほしい。教諭たちがすぐに相談に応じるから」と呼びかけていた。

<Yahoo Newsより>

 昨今騒がれておりますいじめ問題。
 その解決のために色々と対策が取られておりますが、そのうちの一つがこれ。
 香川県の亀阜小学校でも同様のシステムがとられております。
 
 さて、本件に対してネットを検索してみたのですが、その大抵は批判的な意見。
 『バッジ外したら余計いじめられるやん』との意見が大勢でありました。
 まぁそれはそれ、もっともな意見でありまして、単純に『意思表示』という観点から見ればまったくの無意味であります。
 もし教師陣が本気で意思表示効果があるとか、あるいは『HotHeart Shiraito』なんて書いて喜んでいると言うのであれば、東雲も『アフォか』というのでしょうが。
 
 ただ、本件に関してはネットで(いや、ここもネット上ですが)展開している以上の効果があるのではないかと東雲は考えています。
 まぁ、『本来』の意図に対して効果が殆どゼロという話なのかも知れませんが。
 そもそも告発が人に見られるなんて危険があるなら、学校側がいじめ相談電話的なものを設置すればいいわけですしね。
 学校という身近な組織が大々的に電話番号配れば牽制にもなるでしょうし。
 ただ、本件に関しては東雲は児童生徒の意識改革に繋がるのではないかと考えております。

 そもそもいじめが起きる場合にはおおよその場合、集団対個人ないし少人数の構図が描かれます。
 ……まぁ、個人が大多数をいじめてるなんて話はまず聞いたことありませんが……。
 しかし、それではその集団が強固なものかと言われれば、それについてはノーと答えるほかありません。
 いじめの図式はおよそ3要素から成り立っており、それは『いじめる中核』『いじめられる中核』『傍観者』であります。
 そしてこの『いじめる中核』と『傍観者』が『いじめる集団』にあたります。
 たいていの場合、人数比率が『傍観者』>『いじめる中核』>『いじめられる中核』でありますので、いじめられる側は膨大な人数にいじめられるということになります。
 そしてそれこそがいじめられる側が感じる『誰も助けてくれない』という心理、プレッシャーを生み出すのです。
 結果、いじめられる側は教師だろうと親だろうと、口外しにくくなってしまうわけです。
 まぁ、もちろんそれだけの理由ではありませんが……。
 
 ここまで申し上げて、しかし『『傍観者』に責任はないじゃないか』と仰られる方もいるかもしれません。
 しかし残念ながら『傍観者』がいじめを許容する限り、『いじめる中核』は問題を問題と感じず、いじめを続行するのです。
 教室とは小さな社会であり、『傍観者』が生み出す空気は世論であります。
 国が世論に振り回されるのに教室が世論に振り回されない道理がありません。
 むしろ集団心理を考えれば、人格が確立していない児童生徒の社会、すなわち教室のほうが、世論には左右されやすいのです。
 山本七平は著書『空気の研究』にて集団心理を育む土壌はその場の『空気』であると述べていますが、その『空気』を生み出しているのは間違いなく『傍観者』なのです。
 そしてこの『空気』はいじめる側からいじめられる側への排他主義を助長します。
 そしてさらにその排他主義がいじめの原動力になる悪循環。
 そういった意味で、『傍観者』もいじめる側に位置するわけありまして、また『傍観者』から『いじめる中核』に転ずる場合も少なくありません。
 
 ただ、実はこの『傍観者』にも2パターンありまして、それが『いじめに肯定的な集団』『いじめに否定的な集団』であります。
 およそ告発などで問題を解決するのが『いじめに否定的な集団』であり、先述したような『いじめる中核』に転ずるのが『いじめに肯定的な集団』であります。
 これらの比率は実際のところ不明、というよりケースバイケース、その教室を取り巻く環境によって左右されます。
 そしてこれこそがいじめを解決するための一つの重要なファクターであり、本件において東雲が有効であると考える部分です。
 すなわち『傍観者』の大勢が『いじめに否定的な集団』となれば、先のような『空気』は醸成されなくなり、また実質的な話としていじめを告発しやすくなるわけです。
 その根源、いわば『いじめをさせない空気』のスタート地点がこのバッジであるわけです。
 まぁもちろん児童生徒の人格形成が不完全である以上、善悪の価値を徹底する必要があり、その点から考えればこのバッジだけでは足らず、本来ならば毎朝毎夕大声で宣誓させたり、いじめというものを、それこそスプラッタ映画並みに残酷な映像として提示したりと、徹底的な精神教育を施す必要があるとは思いますが。
 ただこの『いじめをさせない空気』が醸成されれば、集団心理の観点からも物理的な告発の観点からもいじめが発生しにくくなるわけです。
 一般にいじめと言うのはいじめる側の快楽および優越感のために引き起こされるのですから、自ら排除されるなんていう苦痛を感じてまでいじめたいと思うのは稀であります。
 どえらいマゾならどうかしりませんが、そういう輩はむしろいじめられる側を好みそうな感じがありますね。
 
 ともわれ、本件は単純に『意思表示』と考えれば無意味なものでありますが、『いじめをさせない空気の醸成』と考えれば、それなりの効果があるのではないかと東雲は考えます。
 えぇもちろん、継続的な意識変革が必要ではありますが。
 『これでおしまい』なんて丸投げすんなよ、白糸中。

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