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2008年6月11日 (水)

『大学卒』に価値はなし

 昨今騒がれております雇用不安。
 中には『経済回復できない政府が悪い』と息巻く輩も多くおり、先日起こりました秋葉原における無差別虐殺事件のカスも派遣職員だったということで、これを原因に挙げるマスメディアも散見されております。
 これに関しましては他の稿でボロクソ書かせていただきますが、さてそんな雇用不安を例示するのに『大学出たのに仕事がない』というような文言をよく聞きます。
 確かに職にあぶれている非ニートの方々が多くいるのは事実ですが、ではこれに対して本当にその例示は有効であるのでしょうか?
 
 そもそも近年は『大学全入時代』と言われておりまして、入る大学さえ選ばなければ誰しも『大学卒』の肩書きが得られます。
 言ってしまえば誰もが持ち得る資格であって、ぶっちゃけちまえばこれっぽっちも有り難味がない。
 確かに『大学卒』を条件とする企業や職業も多く見られますが、あくまでそれは受験資格であり、就職を約束するものではないのです。
 
 なお、ここで誤解の無いようお願いしたいのですが、東雲は学歴を否定するつもりはさらさらありません。
 むしろ未だ厳然として学歴重視の風潮が残っており、それは実際は好ましいことであると考えております。
 こう申しますと『学歴重視が人格を崩壊させる』だの『見ろ! 秋葉原の事件起こした犯人だって県下トップの高校に行ってたじゃないか』だのと言った声が聞こえてきそうなものですが、そんなものは一部の特例に過ぎません。
 ぶっちゃけちまえば東雲も、このカスと同じような人生を送っています。
 自慢するわけじゃありませんが、中学卒業までは成績上位でチヤホヤされまして、都下トップクラスの高校に入学いたしました。
 しかしそこで現実を見せ付けられまして、英語などは毎回赤点毎回追試。
 大学はそれなりのところへ行きましたが、周りが東大やら千葉大やら行ってましたから、やっぱしコンプレックスはありましたよ。
 容姿もパッとせず、彼女いない暦なんぞ、あのカスより長いです。
 じゃあそんな東雲は無差別殺戮しなきゃダメですか?
 不謹慎な例とは存じますが、しかし結局そういった話、あくまで特殊な例なんですよ。
 大体学歴ある人間が全員人格崩壊してるってんでしたら東大は精神病棟ですか?
 んなわきゃない。
 東大卒で立派な人なんてたくさんいるし、高卒でどーしよーもない人間もたくさんいます。
 逆もまた然りでありますが、『勉強しすぎでおかしくなる』なんてのは結局のところ妄想です。
 つか、おかしくなるほど勉強する奴なんて未だかつて見たことねぇ。
 ともわれそんなわけでありまして、学歴を否定するのは甚だお門違いってなもんで、そも高卒までの学力ってのは(個人差はありますが)努力次第でどうにでもなるものでして、つまり有名大学に入れるっていうことはその程度の努力ができるってことでもあります。
 そういった意味で東雲は、学歴重視はあって然るべきであると考えているのです。
 
 ではその上で『大学卒』を否定する真意はどこにあるのか、という話でありますが、東雲は『有名大学卒』は有効と考えております。
 就職希望先が東大やら慶応、早稲田などを蹴るってのはあまり聞かない話ですし、また就職案内もそういった大学には集中的にばらまかれます。
 加えてそういった大学の教授などは企業と共同研究していたり、あるいは懇意だったり、また学会などで顔が売れていたりするため、教授推薦の口が多いことが結構ありますし、またその研究室の卒業生がパイプになってくれることもありまして、そういった意味でも『有名大学卒』の肩書きは就職に関して多大な影響を及ぼします。
 しかしだからといって聞いたこともない大学卒が同じ恩恵に与れるかといえば答えは否。
 『○○大学? どこよソコ?』と一蹴されるのがオチであります。
 加えてそういった大学は科研費(国が研究費用としてくれるお金)などの補助や企業からの支援も乏しく、あまり大した研究が出来ないことが多くありまして、そうすると教授の名前も売れてこない。(もちろん例外もあります)
 となれば教授推薦の口も減ってきまして、そもそも就職できないんですから先輩のつてを頼ることも出来ません。
 また当然ながら、『学歴を重視しない』企業であっても、それは二流以下の大学を優遇するということではありませんで、単に大学での判定を無くす(あるいは軽減する)というだけの話であります。
 つまり就職において『有名大学卒』は有用な資格になりえますが、単に『大学卒』ではこれっぽっちも意味がない、ということなのであります。
 
 では何故『大学出たのに仕事がない』と、あたかも『大学卒』が就職のパスポートのように言われるかと申しますと、これは結局過去の『一部の人間が大学へ行く』世の中において言われていた、つまり『大学卒=エリート』だった時代に起因しまして、それを未練たらたら現代まで引きずっているというだけの話であります。
 『大学卒=普通』の現代においてはそんな話が通用するわけもないんですが、未だそんな昔の価値観で論じようとする御仁もおられまして、だからこそ大学卒の若人はただ『どこでもいいから大学に行く』ことだけを目的としまして、実際大学を出てみたら就職先がないという事実に茫然自失するわけです。
 一部親にも『大学くらいは出ておきなさい』なんて言う方がいるようですが、単に『大学卒』では全くもって無意味ということを、そろそろ理解しなければならない頃だと思います。
 そんな無意味な『大学卒』という資格を得るために4年もの歳月を費やすのは愚の骨頂であり、ならば専門学校でも行って、もっと実用的な資格をとったほうがまだ有用ってもんであります。
 もちろん専門行って遊んでたら取れる資格も取れませんが、そんなん大学だって同じですから。
 むしろ普通の大学なんて教員免許くらいしか取れませんて。
 (ちなみに免許持ってても教師になれるとは限らない)
 
 蛇足ではありますが、ぶっちゃけてしまえば、本来大学行くのは一部の人間でいいんですよ。
 就職したところで専門知識を武器にやらなきゃならないのはごく一部。
 大体は就職先で仕込まれる技術を使って闘うことになるんですから。
 『大学全入』なんて不要です。
 さらに言えば大学数もこんなにいりません。
 一部上位校だけ残して、後は廃校すればいいんです。
 で、どうしても大学行きたければ必死こいて勉強しろってな話です。
 先述したように、個人差はあるにせよ、大学入試までの学力は努力次第でどうとでもなるんですから。
 それができなきゃ大学来るなって話です。
 教育を受ける自由? そんなもん、まず努力する義務を全うしてから言えって話ですよ。
 大体、大学数減らせば当然そこに割り振っていた補助金(私立含む)を自由に動かせますし、それを残った大学に割り振ればさらに深い研究もできるでしょう。
 そうなれば専門的な技術力も上がりますし、それに4年もぼけーっとしてすごす若者層が労働に従事できれば労働力の確保だってしやすくなるでしょう。
 わざわざ外から1000万人も連れてくる必要なんざございません。
 また18歳から納税させられればそれなりの税増収になると思いますが違いますか?
 
 昨今言われております技術力低下、(本当かどうかは知らないが)労働力不足、税収不足が下位大学潰すだけで一気に解消すると思うんですが、何で文部科学省は声高らかにこれを言わないんでしょうかね?

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