2009年8月28日 (金)

『日本の科学力なんて知ったこっちゃありません』ってことか?

 最近、ふと気になったことがございます。
 民主党の扶養控除廃止と、これに関わる日本の科学技術力の後退についてです。

 いきなりこんなことを申しますと『え? 関係ないやん』と思われるかもしれませんが、しかしこんなことが考えられるんじゃないでしょうか。

 既に申し上げたとおり、民主党は扶養・配偶者控除の廃止を掲げておりまして、対応する子ども手当ては中学生までですから、それ以上ですと子どもがいたって増税になります。
 まぁ『特別扶養控除はなくならない』なんて意見もあるようですが、これも既に書いたように『どこからどこまでなくならないのか』も不明でありまして、そんなもんを主張する前にまず『全額なくならない』という根拠を示していただきたいものでございます。

 が。

 しかし本稿においてはそれはまったく関係ございません。
 何故なら本稿で取り上げる対象が『特定扶養』に当てはまらず、もちろん子ども手当てにも当てはまらない23歳以上だからでございます。

 以前、ゆうくんパパ様から『23歳以上の子や、70歳未満の親を扶養していれば増税』とのコメントをいただきました。
 これまったくもってその通りでありまして、諸所でも言われていることでございますが、しかしこれに対する反論(?)として『働けニートw』というレスをよく見ます。
 まぁ言わんとすることは分からんでもないですが、しかし23歳以上で未就職が必ずしもニートとは限りません
 確かに『特定扶養』は高校から大学相当の親族を対象としておりますが、厳密には生年月日、年齢による制限です。
 つまり浪人なり留年なりした場合は扶養控除廃止にヒットしますし、在学中に休学して留学する、なんて場合も引っかかってくる場合がございます。
 もっと言っちまえば、ほとんどの大学院生は直撃です。
 私も大学院生を6年間やっておりましたが、仮にこの間の控除がなくなっていれば、それだけで240万近くの控除カットになっておりました。
 いや恐ろしい。

 しかし、実際に恐ろしいのはこれからでございます。
 今申し上げましたように、ほとんどの大学院生が扶養控除廃止の影響をまともに受けるわけですが、民主の政策には『大学院教育』に対する支援はありません
 『高等教育』という字面はありますが、どのあたりまでやるのかもさっぱりです。
 となれば、大学院進学者が減ってくる、なんてことも十分にありえます。

 しかしながら、こと自然科学系に限っていえば、言葉は悪いですが、大卒なんて何の役にも立ちません
 自然科学系で学位取ってるのに営業回された、なんてのもザラです。
 私の知り合いなぞ今まで化学系の研究やってたのに、いきなり自動車工場の塗装に回されたと憤っておりますよ。
 まぁ某トヨタで、人員削減してたところにエコカー減税などなどの経済対策が効いて人間が足りなくなったってことで一時的ではあるみたいですが。
 ともあれ自然科学系卒でも、ちゃんと研究に携わりたければ最低修士、できれば博士なのです。
 つーか他の著名な研究者と話しようとするときに修士じゃ相手にしてくれません
 そして研究者にとって議論できないということは致命的なのです。

 更に研究レベルで言っても学部卒と院卒なんかでは段違いでありまして、言うなれば学部生は教授のお手伝い修士でそこに独自色を反映させ、博士でようやっとそこそこに研究できると、そんなものなのであります。

 つまり科学技術を発展させるには大学院以上の育成に力を入れなければなりません
 企業でももちろん研究をするっちゃするんですが、企業での研究は工学が主体でありまして、理学に関しちゃ大学が主力です。
 理学というのは大雑把に言えば基礎理論の研究、つまりは『道具』を作る学問であり、工学というのはその『道具』を使って『製品』を作る学問です。
 つまり実益に結びつくのは工学ですが、工学の発展は理学の発展を土台とするわけです。

 然るに大学院進学者、早い話、大学研究者が減ると、当然理学系を研究する人間が少なくなりますから理学が減退
 工学はそれに基づくわけですから、これも減退するわけです。
 大学研究者は企業よりもシビアでして、自然科学系では博士号持ってないとほとんどなれません
 修士号では助教止まりでしょう。
 学部卒じゃあ、せいぜいが技術職員ですね。
 いやもちろんそれぞれ重要な役職ではありますが、いずれも特定のケースを除いて研究の主導権は握れません。
 だってさっきも言ったとおり、他の研究者が話聞いてくれないんですもん。
 特に他国は厳しいですよ。

 『風が吹いたら桶屋が儲かる』ではありませんが、扶養控除廃止は日本の科学技術力に歯止めをかけるものであります。

 民主は『高校希望者全入』だのなんだの言ってますが、そんなもん必要ないんですよ。
 ぶっちゃけ高校どころか大学出ようが出まいが(一流大でなければ)変わらない昨今、そんなものは時間と金の無駄、ムダ、むだ
 重要なことなので三回(ry

 本当にやりたければ、『俺はどうしても学問をしたいんだ』という人間に、その能力を鑑み、大学院以上で補助してやりゃあいいんです。
 その方が金も浮くってもんでしょう。
 ことさら『教育を受ける権利』なんて喚く戯けがおりますが、『教育を受けるための義務』もろくに果たさない連中にそんなものをかざす権利はありません
 義務を果たして初めて権利が認められるなんてのはもはや常識、元気様のコメントから引用させていただけば『コモン・ロー』でございます。
 義務を果たさず権利を主張する連中がおりますが、そういうのは単に我侭と申します。
 大の大人になってまで我侭なクソガキである連中が多いことに辟易しますが、改めて『勉強したけりゃまず勉強しろ』と、そのように申し上げましょう。
 それが出来なきゃ中卒で結構。
 頭動かすより手を動かすことが重要な仕事は山ほどあります。
 むしろ勉強しようとも思わん人間に頭使うような仕事をやってほしくありません
 例えばアカポジだって、博士になったから良し、研究者になったから良し、教授になったから良し、と、そんなふうにはなりません。
 むしろランクが上がれば上がるほど、それだけ勉強しなきゃならないんです。
 最近の動向を知らないような研究者は屁のツッパリにもなりませんよ。

 話は逸れましたが、なんにせよ扶養控除廃止して大学院進学を妨げるということは、日本の科学技術を後退させるんじゃなかろうかと、そう思えて仕方がない東雲でございます。

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2009年3月23日 (月)

保護者がモラル低下させてどうする

 とゆーわけで本日四稿目でございます。
 周りが学会(つーても創価じゃないですよ、もちろん)の発表準備をしている最中、東雲何ともフリーダムにやっている昨今でございます。
 まぁぶっちゃけ、博士論文書くのにいっぱいいっぱいで学会申し込みできなかったっつーだけなんですがねorz

 閑話休題。

 本稿は政治からちょいと離れ、教育なお話です。
 まずはこちらをご覧ください。

<以下引用>

「平日に授業休んでTDL」 学校側が容認している?
3月22日12時25分配信 J-CASTニュース

 小学校などを休ませて子どもと家族旅行――。一昔前なら考えられなかったことを学校が認めていると、関係者らが新聞社サイトの掲示板に書き込んで話題になっている。平日なら旅行代金が安いといった理由もあるというが、本当に容認している学校があるのか。

■市立小学校校長「容認ではなく事後承諾」

  「学校を平日に休んでTDL、最近はこうなのですか?」

 これは、読売新聞オンラインの掲示板「発言小町」に2009年3月3日に掲載された質問の投稿だ。

 それによると、自らが経営する英語教室では、受講生の小学生が、東京ディズニーランドや沖縄旅行などで学校を休むとしばしば言うのだとか。夏休みや週末はツアーが高いのが理由。義務教育の授業を自己都合で休むだけに、この投稿主は、教師としてリアクションに困ると漏らす。

 しかも、子どもたちに聞くと、小学校の教師は、旅行で休むことについて、「そう」とこともなげに言うというのだ。この投書には、11日までに200件近い賛否両論のコメントが寄せられたが、教師など学校関係者とみられる人からも、休みを容認するかのような声があった。親子のコミュニケーションによい、保護者と後で面倒なことになる、といった積極的・消極的な理由からだ。

 学校現場では、旅行のための授業欠席を本当に容認するようになっているのか。

 大阪府内のある市立小学校の校長は、「『旅行に行きますから休みます』と言われれば、『困ります』とは言えません。義務教育と言っても、教育を受けさせる責任は親にあるわけですから」と明かす。ただ、「容認」ではなく、「事後承諾」だと説明する。「推奨しているわけではなく、やむを得ないということです」。

 また、東京・多摩地区の市立中学校の校長も、同様な立場だ。「旅行に行くのはダメでは、やっていけません。親などから申し出があれば、認めざるをえません。権利といったオーバーなことではありませんが、不登校などと同じ流れですよ」。

 小中学校の現場では、旅行による授業欠席を積極的に認めているわけではないものの、ダメとは言えないので仕方がないということのようだ。

■「表立って聞かれれば、それはまずい」

 文科省の教育課程課によると、学校教育法などでは、家族旅行での欠席について、規定したものはない。学校が出席停止にできるのは、病欠、事故欠席、忌引きぐらいだ。旅行欠席を容認している学校や教育委員会があるかについては、「承知していない」と担当者は話す。教育現場で多くは、出席簿上、「病欠」としたり、親戚の法事などと同じ扱いの「家事都合」としたりしているらしい。

 ところで、平日に学校を休んで家族旅行に行く子どもたちは、学校が対応に苦慮するほど増えているのか。

 前出の大阪府内の市立小学校校長によると、都市部では時々耳にする程度で、「夏休みは旅行代金が高くなるので、その直前に早めに休むというのを聞く」という。東京・多摩地区の市立中学校校長は、「病欠ということにして、旅行代金が安い夏休み前に休んだという話は聞いたことがあります」としながらも、都内ではそんなに例は多くないはずだとする。

 内閣府が2005年に行った世論調査によると、家族旅行をするために子どもを平日に休ませる考え方に近い親が約2割いた。また、ケーブルテレビ会社のイッツ・コミュニケーションズが同年に行ったアンケートでは、学校を休ませたと答えたのが6割強もあった。

 実態はよく分からないが、家庭より学校が優先された時代からは変わりつつあるのは確かだ。

 学校を休む理由は、説得力のあるものもある。親の仕事の関係で平日しか休みが取れないといった場合だ。親子のコミュニケーションを深められる旅行は、この場合は平日しかない。読売の掲示板「発言小町」では、地球博など社会見学ならいいのでは、といった声もあった。

 もっとも、学校現場では、授業の大切さを親に分かってほしいというのが本音らしい。前出の市立中学校校長は、こう打ち明ける。「旅行に賛成する意見は、もっともなものが多いとは思います。しかし、旅行の理由によっては、表立って聞かれれば、それはまずいですよ、と答えるでしょう。教員の立場としては、やはり学校に来てほしいと思うからです」

<Yahoo Newsより>

 一応、東雲も教育で学位を取ってきた人間でございます。
 だからこそ、昨今における教育軽視の風潮に思うところがあるのですが、これは少々酷すぎる。

 確かにシーズン中など料金が高くなるってこたぁ分かりますし、出来るだけ安い金額で、という心情だって分かります。
 が、しかし、だからといって平日に学校休んで遊びに行くというのは一体全体どういう了見なのかと。

 『親子のコミュニケーションによい』?
 わざわざ平日にやる必要があるのか?

 『保護者と後で面倒なことになる』?
 道理も説けない教師など辞めてしまえ!

 『義務教育と言っても、教育を受けさせる責任は親にあるわけですから』だと?
 親が子供を勝手に休ませるってこた、その責任を放棄してるって事じゃねぇのか?

 『不登校などと同じ流れですよ』たぁ何事だ?
 重大な問題とただ遊びに行くだけの我侭を一緒にすんな!

 『親の仕事の関係で平日しか休みが取れない』?
 だから子供の長期休みに行けってんだろ!

 もう以前から幾度となく申し上げておりますが、学校ってのはただ単に勉強内容を詰め込む(それももちろん大事ですが)だけじゃありません。
 そもそも学校教育の目的とは『社会に適応できる人間を育成する』事でありまして、『会社や学校を、特別な理由がない限り休んではいけない』なんてのは、その基本中の基本でございます。
 それを説明できない教師も教師なら、理解していない親も親でございますよ。
 将来就職した子供が『遊びに行くんで会社休みます』なんて言い出したらどうする気ですか?
 そんで上司に『じゃあ明日からずっと休んでいいよ』と言われたら、その親は一生子供の面倒見るんですか?
 コミュニケーションより前に、まず常識学ばせろと東雲なんかは思いますよ。

 そもそも教員免許なんてものは、大学の授業に教育系科目いくつか取って、一月ほど教育実習行ってくりゃ卒業証書にくっついてくる程度の価値のないものでありますが、しかるにそんな紙切れを振りかざし教育について云々のたまう輩が増えております。
 教育について詳しく研究したわけでもなければ、現場で経験を積んだわけでもない。
 たまに『教育実習行ったもん』とか鼻息荒く言う馬鹿がおりますが、せいぜいが一ヶ月、しかも他の先生に支えられるお客様待遇で、生徒は『大学生のお兄さん・お姉さん』としか見ていない、そんなもんで実地経験積めるかっつー話です。
 悔しかったら10年くらい現場で教鞭握ってみろ。
 そういったこともせず、テレビやらなにやらで聞きかじった耳学問で偉そうに『教育とは!』とか何とか喚きやがる。
 ふざけんなっつー話です。

 別に東雲は『素人が教育について語るな』とは申しません。
 素人だろうがプロだろうが感じるところがあり、意見したいところがあると思います。
 それはそれでいい。
 しかし、素人の癖にプロぶって他人の意見を聞こうとしない、そういった連中に東雲ははらわたが煮えくり返るのです。
 いわゆるモンスターペアレンツというやつですね。

 これももう何度か行っていると思いますが、『教育』の質が下がりきっている昨今、教員の免許更新制なんてアホなことやってる場合じゃありません。
 速やかに教員免許取得における教育学部卒の義務化ならびに教育学部6年制を導入し、後半3年間で現場教育含めた教育学を徹底的に叩き込み、耳学問では到底及ばない『教育のプロ』を育成するべきでございます。

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2009年3月 5日 (木)

親愛なるクソガキどもへ

 毎年この時期になりますと出てきますこの話。
 いい加減東雲などはうんざりなのですが、さりとて放っておいて悪化させるわけにもいきません。
 むしろそれこそ連中の思惑なわけですからね。

 てことで、くだらないことこの上ないお話でございますが、注意喚起ということで本件を取り上げたいと思います。
 こちらをご覧ください。

<以下引用>

国歌集団不起立で教諭ら9人処分 門真三中 生徒指導「確認できず」
2009.3.5 01:50

 昨年3月の卒業式で大阪府門真市立第三中学校の男子生徒1人を除く卒業生159人と一部教員が国歌斉唱時に起立しなかった問題で、市教育委員会が斉唱開始と同時に着席した8人の教諭全員と校長を、文書訓告や口頭厳重注意の処分としていたことが4日、分かった。処分対象の行為は教員自身の不起立で、府教委は「調査の結果、生徒への着席指導は確認できなかった」としている。国歌斉唱時の不起立で教員が処分を受けたケースは大阪府内では初めて。

 府教委教職員人事課によると、処分は2月20日付。校長と50代の男性教諭1人を文書訓告、20~50代の男女7人の教諭を口頭厳重注意とした。教諭8人はいずれも卒業生の学年の担任と副担任だった。

 教諭らへの事情聴取の結果などを踏まえ、府教委と市教委は、8人の不起立を「学習指導要領に基づいて国歌斉唱を指導すべき立場の者として不適切な行為」と判断。文書訓告の教諭については、事情を聴くための市教委の呼び出しに応じなかったことも処分対象に含めた。校長に関しては、教員に対する指導不徹底と、ほぼ全員の卒業生が着席するという事態を招いたことを理由とした。

 教諭たちは「起立、斉唱が方針ということは知っていたが、自分の内心に従って着席した」などと話しているという。

 府教委は当初、教諭が生徒に着席を促した可能性もあるとみていたが、事情聴取に対し8人は「式の前に『自分は起立しないから』と生徒に伝えたが、強要はしていない」などと主張。関係者への聞き取りでも、こうした指導は確認できなかったという。

 不起立をめぐる初の処分に踏み切った理由について、同課は「市教委との協議の結果、『不起立指導は確認できなかったものの、学校現場に与えた影響は大きい』との判断に至った」としている。

<MSN産経ニュースより>

 もうね、何度も言うけどさ。
 憲法第19条ってのは我侭振りかざすための免罪符じゃないよ?

 例えば企業で特許取り扱う人間が『国民には知る権利がある!』とか何とか喚いて、特許出願前の技術情報流したりしたら、それこそクビだけじゃ済まされない。
 それまでの研究費用や期待された収益などなど、下手すりゃ億単位の賠償にすら及ぶ可能性だってございます。
 そこで『憲法第19条があああぁっ!』と言ったって誰も聞きゃしませんよ。
 
 社会や組織にいる以上、守らなければならないルールってモノがあります。
 内心の自由、ただそれだけで何でもやっていいというのなら、それはもう無法国家。
 この処分された連中は『ルールなんて自分の我侭で破っていい』と生徒に教えているんでしょうか。
 だとしたら文書訓告や口頭注意なんてユルユルな処分してないで、即刻懲戒免職していただきたいところでございます。

 まぁ、卒業生のほとんどが国歌斉唱していなかった時点で処分は不可避でございますが。
 そもそも現行の指導要領にて生徒に対する国歌斉唱指導は明記されているわけでございまして、これは明確な職務怠慢。
 仕事できねぇ人間に教員やらせんなという話でございまして、東雲などは問答無用で懲戒免職でいいんじゃね? とか思うわけです。
 まぁ極端すぎかもしれませんが、こういったバカなクソガキどもにはそれくらいやらないと分からないでしょうしね。

 大体の話といたしまして、連中、この問題に関してしょっちゅう憲法第19条を持ち出してくるわけですが、同じく日本国憲法の第12条には『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ』と、きっちり『権利濫用しちゃダメよ。公共の福祉のために使いなさい』と書いてあるわけです。
 愛国心というものは『日本』という公共の場に生きるうえで必要不可欠なものでございますが、それを阻害している時点で憲法違反。
 19条言う前に12条しっかり守れと、東雲はそう言いたい。

 加えて言うならば日本国憲法第1条には『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く』とあり、いわば天皇陛下は日本ならびに日本国民そのものであらせられるわけで、君が代を否定するってのはすなわち憲法を否定しているか日本そのものを否定しているかのどちらか、あるいは両方であるわけでございます。
 憲法否定してる人間が9条やら19条やら持ち出すなと、日本否定してる人間が公務員やってんなと、東雲などはそげんふうに思うわけです。

 親愛なる我侭クソガキ教員各位

 『ルールは守らなければならない』という、人間社会で生きるうえで最低限度のルールが分からないと仰るのであれば、もう一度幼稚園からやり直してはいかがですか?

 それにしても、他全員が着席した中で起立を貫き通した男子生徒。
 ……漢だね。

追記:
 記事の不起立そのものがあったのは昨年の話のようですね。
 失礼いたしました。

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2008年10月31日 (金)

正論を 言うと排除の この風潮

 とゆーわけで川柳風味の本タイトル(字余り)。
 正論→排除コンボは、当ブログでも何度か取り上げております中山前国交相が記憶に新しいところでございますが、公立高校でもこんなことがあったそうです。
 ご覧ください。
 
<以下引用>

神奈川県立高:服装、態度で22人不合格…平塚の神田高

 神奈川県教育委員会は28日、県立神田高(平塚市、渕野辰雄校長、生徒数347人)の05、06、08年度入試で、試験の成績が合格基準に達していながら、「つめが長い」「スカートが短い」など服装や態度を理由に計22人を不合格としていたと発表した。県教委は「不正な選考だった」とし、希望者に対して入学や編入などの対応を検討している。

 県教委によると、同校は05年度入試から、校長の指示で願書提出や受験時に「著しく目立つ点」がある受験生をチェック。特に問題点が多い受験生は「入学後の指導が困難」と判断し、05、06年度は各6人、08年度は10人を不合格にした。

 今年7月に県の内部通報制度で発覚し、県教委が8月から調査した。問題点の記入内容は「態度が悪い」「服装がだらしない」から「髪染めの跡」「ピアス」まであった。

 同県の県立高入試の選考基準では、調査票と学力検査などを点数化して合否を判定。いずれも服装や態度は対象にしていない。

 28日に記者会見した渕野校長は「基準を逸脱して大変申し訳ない」と陳謝。同校は中退者が年間100人以上の「課題校」とされ「教師の指示に従わない生徒が多く、まじめな子を取りたい思いだけだった」と釈明した。 県教委は「受験生や関係者に不安感を抱かせないため」として渕野校長を11月1日付で異動させ、関係者の処分も検討している。全県立高146校の過去5年の入試も調査する。【五味香織】

<毎日新聞:2008年10月29日配信>

 東雲、社会面はあんまり見ませんもので、よく勉強させていただいております『閣下の憂鬱』様、『博士の独り言』様、『依存症の独り言』様の記事を読ませていただいた際に知ったのですが、それにしても正論を言うと排除されるこの風潮、たまったもんじゃありませんね。
 そもそも『身だしなみ』を基準に不合格としたことが『不正な選考だった』理由が、東雲にはさっぱり分かりません。
 就活だって、まず第一に身だしなみじゃないですか。
 清潔な髪型をし、爪などもきちんと切り、きっちりしたスーツを着るのは当たり前。
 熟練した面接官などは腕時計と靴を見るそうですよ。
 何でもそういった小さな部分に、その本人の性格が出るそうです。
 もちろんそれらの『成績』が会社の『基準』に合致しなければ不合格とされるわけで、それに不服を申し立てるDQNが果たして存在するのかどうか。
 一部には『就活と一緒にするな』なんて声もありますが、冗談はよし子さんってな話です。
 高校やら大学やらで身だしなみ云々なんていう教育をすると思いますか?
 せいぜいが高校の校則に則って指導するくらいですが、そもそも校則による指導なら中学校にだってあります。
 高校受験でできない人間が就活でできる道理などこれっぽっちもないのです。
 
 そもそもとして、身だしなみも整えず『志望校』に行く、その思考が東雲にはさっぱり分からない。
 本当に行きたい学校であるなら少しでも心象を良くしようというのが普通です。
 いわば身だしなみは『どれだけその学校へ行きたいか』のバロメーターでありまして、東雲などは高校に推薦入学(内心点と面接のみ)でございましたが、制服に気を使うのはもちろん、ドライヤーで髪の色が薄くなると聞けば試験当日まで一切ドライヤー使いませんでしたよ。
 『身だしなみで判断するなら基準を公表すべき』なんて意見もあるようですが、東雲などはむしろ基準が必要なくらい『その学校へ行きたい』という気持ちが軽いのならば高校へなど行くなと考えます。
 義務教育じゃないんですし。
 どうせその程度の気持ちで高校行ったってすぐにやめちまいますよ。
 事実、『博士の独り言』様が掲載されておりますFNN動画の記事には『ここの学校に入りたいと思うのだったら、身だしなみを整えてくるのが普通だと思う』という生徒の意見が示されており、また校長に辞めてほしくないと思う生徒は実に8割にものぼるとのことです。
 つまり、おおよそほとんどの生徒がまともな思考をしている、その傍らでそんな当たり前のこともできない連中を擁護する側がいる、というのが、東雲には不思議でたまりません。
 
 加えて、こちらも『博士の独り言』様が掲載されております、今度は朝日新聞の記事なのですが、寄せられた意見に『子どもの学ぶ機会を奪ったのは良くない』『入学させてから育てるのが学校の本質ではないか』との意見もあったそうですが、東雲に言わせてもらえば『馬鹿言ってんじゃない』という発言です。
 断言しましょうか?
 入試の際ですら身だしなみを整えられないヤツは『高校で学ぼう』なんて思っちゃいません。
 先にも申しましたように、入試時における身だしなみは『そこへ行きたい』というバロメーター。
 その気がない連中が『高校に入って思いっきり勉強しよう』なんて思うわけないじゃないですか。
 東雲も長いこと塾講師やってましたが、往々にして身だしなみ整えられないヤツは勉強嫌いでしたよ。
 で、なんだかんだ理由つけてサボろうとしてましたね。
 身だしなみ整えられるヤツは、まぁ必ずしも勉強好きというわけでなく、また成績の悪いやつも多かった(もちろん勉強できるヤツは身だしなみ整えられるヤツが圧倒的だった)んですが、それでも『勉強しよう』という意気込みはありましたしね。
 少々話がそれましたが、とどのつまりは『子どもの学ぶ機会を奪ったのは良くない』なんて意見は、ちょっと知ってる人間なら噴飯ものの発言なのですよ。
 『入学させてから育てるのが学校の本質ではないか』という意見も同様。
 そもそも中学校にだって服装に関わる校則があり、それに伴う指導があるのです。
 それに従わなかった人間が高校に入ったら従うようになる?
 ありえませんて。
 よっぽどの社会経験をするというのなら分からないでもないですが、高校でそんなことはまったくと言っていいほどありません。
 むしろそれだったら高校に行かずコンビニででもバイトしてろと、東雲などは思いますよ。
 その方がよっぽど社会勉強になりますし。
 
 結局のところ基準どころか常識ですらそれ以前の話でありまして、そんな当たり前の判断を下した校長を更迭したことこそ『不正』と、東雲は思うわけでございます。

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2008年10月27日 (月)

これで教育ができるものか!

 先の中山前国交相発言から改めてスポットが当たり始めました日教組の害毒性。
 どこぞのヒダリっぱ新聞などは、『実効性』にはほとんど関係ない『組織率』を持ち出して『成績とは関係ないニダ!』なんて火消しに躍起になっておりましたが、しかし今までの行いが行いだったもので、森元首相からも発言が飛び出し、果ては日教組と教育悪化の関係を否定していた塩谷文部科学大臣すら、しぶしぶっぽいが認めた様子。
 以前より『教育改革の第一歩は日教組の解体から』を申し上げておりました東雲としましては、この勢い失ってほしくないと思いますが、さてそんな日教組に対し、中山発言を肯定してました橋下大阪府知事がこんなこと申されたようなのでご紹介します。
 まずはこちらをご覧ください。

<以下引用>

橋下知事、ヤジに応戦「こういう教員が現場で暴れている」
10月26日23時53分配信 読売新聞

 大阪府の橋下徹知事と府教育委員らが教育行政について一般参加者と意見を交わす「大阪の教育を考える府民討論会」が26日、堺市の府立大学で開かれた。

 訪れた教職員の一部から再三ヤジを飛ばされて興奮した知事が「こういう教員が現場で暴れている」「(日教組批判などで国土交通相を辞任した)中山成彬前大臣の発言はまさに正しい。これが教育現場の本質」と述べる一幕があった。

 また、子どもの指導方法についても言及した知事は、「ちょっとしかって、頭をゴッツンしようものなら、やれ体罰と叫んでくる。これでは先生は教育が出来ない。口で言ってわからないものは、手を出さないとしょうがない」と、体罰容認とも受け取れる持論を展開した。

<Yahoo Newsより>

 もうね、いちいち正論過ぎて困りますよ。
 ブログで書くことないじゃないですかw

 とはいえ記事だけ載せて『はい、おしまい』では閲覧者様方に見捨てられてしまうこと必至ですのでいささかのコメントを。

 そもそもこの野次と申しますもの、国会などでもよく見かけるのですが、なんとも見苦しいものだと東雲は思います。
 特に彼ら教職員は、生徒に対して『人の話を聞くときは黙って聞きなさい』と教える立場でございまして、そんな連中が、人が話しているときに野次飛ばすってどうよと、東雲などは思うわけでございます。
 果たしてそんな教師に言われて従う生徒がいるでしょうか。
 『自分がやっていないのに、偉そうに人に言うな』と言われるのがオチな気がします。
 授業中に生徒が騒いでいたとして、連中は『静かにしろ』という資格がない。
 となればもう、学級崩壊一直線。
 そりゃ教育も崩壊するってもんです。

 この橋下『先生』の『注意』で赤面して口をつぐんだというならまだ救いもありましょうが……まぁないだろうなぁ……。
 そういった教員資格のない連中は早々に辞表を提出し、教員免状を返上していただきたく存じます。

 ちなみに体罰についてですが、東雲は基本、賛成方針です。
 基本的に子供というものは狡賢いものでありまして、『この先生は舐めてかかれる』『この先生はきちんとやらなきゃまずい』と、明確に区別するものです。
 叱ることもほとんどしない、体罰なんてもってのほか、生徒とは友達のように触れ合いたいと考える『お友達教師』は往々にして前者に分類され、厳しい先生は後者に分類されます。
 昨今の教師ものドラマや漫画などの影響か、『お友達教師』が秀でていると勘違いされている傾向があり、また教育学部においてもそれを目指すような学生がおりますが、少なくとも学級崩壊が起こるのは『お友達教師』のクラスである場合が非常に多い。
 これは統計でも明らかとなっております。
 そして学級崩壊したクラスはもはや先生の話なんぞ聞きませんから、授業は当然出来などしない、さすがにヤバイと思って注意しても後の祭りで聞きゃしない、そんな状態に陥ります。

 『悪いことをすれば痛い目にあう』
 これはきわめて重要なことでありまして、また悪いことをさせないための抑止力でもあります。
 言ってみれば法と懲戒の話でありますが、だからこそ、悪いことをした生徒には明確に『痛い目』にあわせなければなりません。
 この『痛い目』が拳骨である必要はありませんが、しかし拳骨こそがもっとも明白に理解できる『痛い目』なのです。
 
 ただ、誤解しないでいただきたいのですが、東雲は暴力を容認するものではありません。
 どうにも体罰=暴力と捕らえられる傾向があり、まぁ実際に拳骨を振るってはいるのですが、そもそもとして目的が違います。
 体罰とは読んで字のごとく『罰』であり、生徒の更正とルール違反の予防という観点から行われます。
 一方暴力は相手を痛めつけることを目的とします。
 こう申しますと『そんなの欺瞞だ! やってることは同じじゃないか!』という声も聞こえてきそうなのですが、目的も違えば手段も違うものでありまして、実は体罰を与える際には様々なことを考えなくてはなりません。
 まずその違反は体罰を与えるべきものなのか、対象生徒の性格を含めて鑑みた場合に口頭注意、あるいは労使で十分ではないのか、体罰を与えた場合のデメリットはどれほど出る目算か、と。
 次にどの程度の体罰を与えるべきなのか、例えば拳骨を使うとしてどこをどの程度の力で打てば生徒のその後の生活に影響なく罰を与えることができるか、あるいはマラソン等の体罰を与える場合に生徒の身体的能力や障害はどうか、と。
 また体罰後にその生徒をきっちりサポートするにはどうするか、立ち直らせることはできるか、その方法は、と。
 そして体罰を行う際に、きちんと冷静に対処できるか、決して感情的にならないか、と。
 それらすべてを勘案し、そこでやっと更正のための体罰を行うことができるのです。
 そしてこれらのうち一つでもかければ、それはただの暴力でしかありません。
 体罰というのは一人ひとりの生徒を熟知し、冷静に対応し、サポート体制を充実させることによってやっと行えるものであり、普通に授業するよりもはるかに高度な思考と技術を必要とするのです。

 ただ、残念ながら現在の教師の多くは体罰=暴力と勘違いしており、また体罰を行うだけの技量を持たないため、体罰と称して暴力を振るってしまいます。
 体罰はその性質上、できない人間がやっていいものでなく、だからこそ東雲は『基本、賛成方針』なのであります。
 体罰を完全に容認するためには、まず教師陣がそれだけの理解と技量を持つことが必要と、東雲は考えております。

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2008年10月20日 (月)

森元首相がまともな事言ってはる

 ちょっとびっくりだ。
 まずはこちらをご覧下さい。

<以下引用>

<森元首相>「戦後教育の過ち」日教組を批判
10月20日22時27分配信 毎日新聞

 自民党の森喜朗元首相は20日、名古屋市での講演で、日本教職員組合について「親や子供を殺すようなことが珍しくもない世の中になったのはなぜか。やはり戦後の日教組教育の大きな過ちだ。それが民主党の支持団体じゃないか」と批判した。同党では、中山成彬衆院議員が同様の日教組批判などで失言をし、先月末に国土交通相を辞任している。

 森氏は、衆院解散・総選挙については「(年内選挙であれば)常識的には11月30日投開票になるが、国際金融問題で主要8カ国(G8)などの首脳会合をやろうと、ブッシュ米大統領が呼びかけている。麻生太郎首相も少し悩みが多いかと思う」と述べた。【近藤大介】

<Yahoo Newsより>

 いやまさかこの人からこういった発言が、しかも今のタイミングで出てくるとは思いませんでした。
 東雲びっくりだ。
 
 まぁ親や子どもを殺すようになった理由が日教組のみにあるとは言いませんし、明確なデータがない以上、断言するのは難しいかなと思うところでございますが。

 しかし当ブログでも幾度か取り上げておりますように、現在の歪みの一因に日教組教育があることは間違いなく、そもそも自分のエゴを押し通し義務に従おうとしない教師を見て生徒が『人を気遣える人間になろう』と思うはずがあるわけもなく、むしろ『自分の意見が聞き入れられないなら殺してしまえ』と思う人間が量産される現状においてさもありなんと思うところでございます。
 実際、国旗国家で校長殺してたりしますしね、日教組。
 
 そもそも『聖職』であった教師が『労働者』に成り下がったのも戦後日教組からですし。
 これにより教師の質が落ちてきたのもまた事実。
 つかこれ、教育系大学の授業で習った話なんですが、本来味方であるはずの教育系大学からこんなこと言われる辺り日教組終わってるなと思う次第でございます。
 
 中山氏には今回の出馬不出馬騒動の禊を済ませた後、文部科学大臣に返り咲いていただき、日教組撲滅運動を推進していただきたく存じます。

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2008年10月18日 (土)

そもそも序列化しちゃいけないってのがおかしい

 大阪府の全国学力テスト開示問題で揺れております教育界。
 塩谷立文部科学相は「基本的に好ましくない」と批判した(2008.10.17毎日新聞)そうですが、これに対して橋下大阪府知事はこのように反論しているようです。
 ご覧下さい。

<以下引用>

橋下知事、塩谷文科相を批判=序列化懸念なら「学力テスト県別結果出すな」
10月17日16時36分配信 時事通信

 大阪府が全国学力テストの一部市町村の平均正答率などを開示したことに対し、塩谷立文部科学相が不快感を示したことについて、橋下徹知事は17日、「序列化を懸念すると言うなら、国は都道府県別の結果を出すなと言いたい」と批判した。府庁内で記者団に答えた。
 橋下知事は「都道府県教委に市町村別結果が渡らないよう、国と市町村教委だけで学力テストをやればいい。その上で市町村教委の自主的な判断に委ねるなら結果は示されず、国民は納得しない」と指摘した。

<Yahoo Newsより>

 いやもう、もっともすぎて言いようがございません。
 市町村別は出さないけど都道府県別なら出していいってなんですかこの二重基準。

 つかそもそも何で序列化しちゃいけないのさ。
 社会にいれば否が応にも順位付けされる。
 なれば『社会に適応できる人間を育成する』学校で順位を付けないのはおかしいわけで、『異常な(あるいは過度な)平等主義』と言われる所以はここにあるのです。
 会社にだって格付けされる昨今でありますわけで、なればむしろ市町村別すら生ぬるい。
 学校別順位をも公表するべきと、東雲などは思っております。
 
 こんなこと言うと『学校と会社一緒にするな!』とかいう声が聞こえてきそうでありますが、学校教育が『社会に適応できる人間を育成する』ことを目的としている以上、学校社会と一般社会に格差があってはならないのです。
 むしろ『学校と会社一緒にするな!』なんて言えるような学校の閉塞状況を打破しなければなりません。
 そのために閉塞の原因となっております日教組を解体しなければならないと東雲は思うわけです。
 
 そういったわけで教育のトップたる文科相に塩谷氏が就いていることが残念でならず、何で中山成彬氏を文科相に持ってこなかったと、今更ながらに思う東雲です。

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2008年7月29日 (火)

留学生30万人計画 自前で優秀な学生育てようとは思わんのか

 移民1000万人計画とあわせ、諸ブログ様にてその問題点が指摘されております留学生30万人計画。
 当初『100万人』だのとアフォなこと言っておりました福田ですが、さすがに馬鹿丸出しということに気づいたのか、30万にランクダウン。
 しかし現在の12万から倍以上にするって意味で、問題としてはまったく解決していないわけで、これを推し進めようとしている輩の気が知れません。
 
 そもそも何のために30万もの留学生を引っ張ってこようとするのか、その理由らしき記事がございましたので、まずはこちらをご覧ください。
 
<以下引用>

拠点30大学を重点支援=「留学生30万人計画」で骨子-政府
7月29日11時15分配信 時事通信

 政府は29日、福田康夫首相が掲げる「留学生30万人計画」の基本的な考え方を示す骨子をまとめた。優秀な留学生を獲得するため、今後拠点大学を30校選定し重点的に支援することなどを盛り込んだ。文部科学、外務、経済産業など関係省庁は連携し、計画実現に向けた具体的な施策の検討に入る。

<Yahoo Newsより>

 はぁ?
 
 いやもう呆れてものが言えません。
 むしろ憤慨ものですよコレは。
 
 海外から30万も引っ張ってくる、その理由が『優秀な留学生を獲得するため』ってんですから、日本国民舐めきってるとしか思えません。
 
 いや、もちろん優秀な学生人口を多くする、それ自体は間違ってませんよ。
 日本の技術、経済をより発展させるためには必要不可欠なものであります。
 が、それをわざわざ海外から持ってくるってのが分かりません。
 自国内で、優秀な学生を育成しようともせず、海外からひっぱってくる。
 アフォかと思わず声高に叫びたい気分です。
 
 中には『優秀な学生を育成することもやってる』と言う方もいるか知れませんが、冗談はよし子さんってな話です。
 大学の年間授業料が国立で50万、私立文系で70万ですよ。
 これが私立理系なら100万、医科歯科なら300万ですよ。
 またこれらは単に『授業料』ですから、私立であればこれに加えて入学金が30~90万、設備費として20~100万、実験実習にも金かかりますし、寄付金がとんでもないことに。
 もちろん入学金は国立にだってございます。
 
 遊びに三流大学行く連中は知ったこっちゃありませんが、現実に優秀な頭脳を持ちつつ、経済的理由で大学進学を絶たれる方だって多くおります。
 そういった方を支援せず、育成しようともせずに、海外に金をばら撒く。
 ふざけんなって話です。
 
 奨学金? バカ言っちゃいけません。
 日本学生支援機構がやってるのは単なる教育ローンですよ。借金ですよ。
 えぇ借金なワケですから利子だってあります。
 (一種は無利子ですが月額8~12万程度)
 東雲なんぞまだ社会出てもいないのに借金一千万ですよ。
 ウチはまだ貧困に喘いでいるわけではありませんでしたから、『まぁ何とか返していこう』と思えましたが、かねてより貧困に苦しんでる方が一千万も借金を負うと知って、そのリスクを持ってまで大学行こうと思いますか?

 加えて大学出たからといって仕事があるとは限らない。
 今では博士を取得しても就職先がなく、何年かはポスドクで生計を立てるのが当たり前です。
 どうしますか、やっとの思いで大学でて、しかし残ったのは借金のみ、なんて事態に陥ったら。
 
 しかも海外からの留学生が不法に就労し、大学に出ていないなんてこともあります。
 いつの間にやら大学が足取りを掴めなくなっている、なんてこともありました。
 そんなリスクを犯してまで海外から留学生を引っ張ってくる理由と言うものは、これっぽっちも存在しません。
 
 この留学生30万人計画と申しますのは移民1000万人計画と根っこは一緒で、とどのつまり自前の学生、生産者を育成する義務を放棄して短絡的に海外から引っ張ってこようという、そんな愚行なのであります。
 そんな金あるならまずは自国民に投資しろと、そう思わずにはいられない東雲です。

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2008年7月14日 (月)

『オンリーワン』による甘えの助長

 以前の記事であの秋葉原大量無差別虐殺犯、加藤智大のことを取り上げました。
 その際に、『「インシャーラー」お元気ですか?』の元気様から『国籍云々は明らかにはなりませんが、この犯人が正真正銘日本人なら… 日本の教育や家族は機能しなくなっているという証拠でしょう。ヤバイですよ。何故に、教育が大事だったか。何故に、日本は世界と肩を並べるまでに発展したのか…。それが危機的な状況に来ているということは、日本の将来は根幹のところで崩壊しつつあるのかもしれません。』とのコメントを頂きました。
 元気様は『拡大解釈のしすぎですかね。私の危惧であれば笑ってもらって良いです。』と付記されておりましたが、ぶっちゃけ笑えないんです、この話。
 特に現場を知っておりますとね、この話、本当にシャレにならないんです。
 
 そもそも教育というものの目的が一体何かご存知でしょうか。
 読み書きを教える?
 方程式を解かせる?
 ノーノー。
 もちろんそれもありますが、これらは主目的の一端でしかありません。
 ではその主目的とは何か、という話ですが、単刀直入に申し上げれば、それは『社会に対応できる人間を育成する』ということであります。
 読み書き教えるのも数式解かせるのも、体育で身体を育成するのも、その子の個性を伸ばしてやるのも、これら全て社会に出て困らない、そしてできるならば活躍できるようにするためのものなのです。
 もちろん教わったことを全て使うかといわれれば否ですが、それは分野によって使う物事が違うわけで当然であり、そもそも使うことだけ教えるというのであれば工業高校なり商業高校なり行くべきなのです。
 実際ドイツでは10歳の時点で専門的な職業学校に行くか、大学へ行くためのギムナジウムに行くかを決めます。
 つまり10歳の時点で進路が決定してしまうわけです。
 
 話は反れましたが、ともわれ学校における教育というものが『社会に対応できる人間を育成する』ことを目的としていることはご理解いただけたでしょうか。
 まぁ厳密にやり始めますと様々な論争もあり、また東雲の持論を展開するにしてもゲシュタルトやら集団心理による排他作用やら欲求および葛藤やらなど込み入った話をしなけりゃならなくなってきますんで省きますが。
 つか、一日二日じゃ終わらないんで勘弁して下さいorz
 
 とにかくそんな教育目的でありますが、しかしこの観点から申し上げますと学校教育は既に崩壊していると言えるのです。
 それは何故か。
 結論から申し上げてしまえば、『オンリーワン教育』が原因なのでございます。
 『オンリーワン教育』とはすなわち、『個の重要性』をことさら強調し、『個性』というものを育成しようとして、結果的に『集団における個人』という意識を低下させる教育であります。
 もちろん『個性』を育成することが悪い、という話ではありませんが、現在の現場では『個人』を尊重するあまり、『集団』を蔑ろにしがちなのです。
 
 東雲、実はあの加藤と同世代にあたるのですが、私が中学の頃、ちょうど一斉の業者テストが廃止された頃であり、『生徒への順位付けはけしからん!』と盛んに騒がれた頃であります。
 以来ことさら『順位』というものに神経質になり、例えばテストの順位を張り出すこともなく、また運動会でもゴール前でみんな揃って一等賞などとわけの分からないことをやるようになりました。
 そしてテストの点数が低い子どもにはことさら『個性』を尊重し、その劣っている部分を改善させようというのではなく、とにかく『個性』を褒めちぎるというようなことをやり始めました。
 とにもかくにも『個人』が大事、お前には『価値』があると、『ナンバーワンよりオンリーワン』を強調し、個人をちやほやし始めたのです。
 
 しかしそれは社会という『集団』においてはそれは特異なことでありまして、同じようなことをしている人間はごまんとおり、すなわちその中で競争していかなければならないのが普通であります。
 また仮に『個性的』なことをやっていたとしても、少しだけ範囲を大きく見てやれば、それはどこかしらのグループに所属する事項であり、やはり競争していかなくてはならないのです。
 つまり『集団』においては『今自分がどのランクにいて、更に上に行くにはどうすればいいか』を考えなければならないのですが、しかし『オンリーワン教育』を受けた人間といいますのは、とにかく自分に『価値』がある、無条件に『価値』があると教えられておりますので、その『価値』が相対的に見て大したものではないということが理解できないのです。
 結果、『自分には価値があるのに周りがそれを認めない』と、ただただ周りに不満を募らせるのです。
 これは別に加藤に限った話でなく、例えばニートが『自分はできるんだけどやりたい仕事がない』なんて言ってる辺りの話にも当てはまります。
 全体でみればそいつができることなど高が知れている。
 しかし無条件の『価値』を教えられているものですから、『自分にはもっとすごいことができるんだ』と勘違いしてしまうのです。
 
 また、『オンリーワン』とまではいわなくても、『ナンバーワン オブ アラウンド教育(長ったらしいんでNA教育)』をやっている場合もございます。
 これはほんの小さなグループ、わずか数人から、せいぜい一学年程度の人数まででものを見て、その中のトップクラスを褒めちぎることです。
 社会に出れば何十万、何百万、はたまたもっと多くの人間と競っていかなければならないのに、せいぜい数十人かそこらでトップだったからとチヤホヤする。
 これはともすれば『オンリーワン教育』よりも危ういんですが、仮にも集団の中でトップだったという認識が、社会というとてつもなく巨大な集団を無視して定着してしまいますと、いざ社会に出たときに『こんなはずじゃない』と現状を理解できなくなるのです。
 本来ならば上には上がいることを教えなければいけない(そのために一斉業者テストなどは有効だったんですが)のですが、それを言うよりべた褒めする方が楽なもので、それをする教師というものがなかなかいないのです。
 よく偏差値エリートなんていいますが、これはそういった人間に良く見られます。
 結局中学やら高校やらの勉強内容なんて狭い枠でトップを取り、それで褒められ有頂天になって、現実を知り凹むんですから、いやはやシャレになりません。
 まぁ、かくいう私も中学ではトップクラス、高校入って現実を知った組ですが……。
 
 ともわれそういった『オンリーワン教育』や『NA教育』と申しますのは、結局のところ何かにつけて児童生徒を褒めちぎる、無条件に『価値』があると教える『甘やかし』なのでありまして、『甘えた』人間をぼっこんぼっこんと育成するものなのであります。
 また、こういった過度に『個人』や『個性』を強調する教育は『集団に対する個人の優先意識』を助長させまして、結局『社会的道徳』や『常識』を軽視する原因となります。
 『社会に対応できる人間を育成する』ためには、『個人が社会に帰属している』ということをまず一番最初に教えなければならないのですが、『個人』を重視するあまりこちらが蔑ろにされてしまうのです。
 
 元気様はコメントにて『日本の教育や家族は機能しなくなっている』と仰られておりますが、厳密には『機能させなくしている』のが現状でありまして、社会を見せ、競争させ、順位をつけ、そしてどうすればより上にいけるのかを教えることこそ、文部科学省の言う『生きる力』であり、またそれをすることが現場教師の急務だと考えております。
 (順位をつけ、『お前ダメだな』というだけでは当然ながら話になりません)
 それができなければ日本の将来はこのまま崩壊しつづけるでしょうね。

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2008年7月12日 (土)

『配慮』のために教育は犠牲か

 先だって示されました中学校学習指導要領解説における竹島記述の方針。
 実質教科書編纂に拘束力を持つとはいえ、法的な強制力を持たない『指導要領解説』でなく、『指導要領』本体に記述して欲しかったと東雲は思っていたのですが、まぁそれでも一歩前進か、とは思っておりました。
 
 ちなみにいくらか誤解されている方がいらっしゃるようで、一応明記しておきますと、別に今回の件は『教科書に竹島を記述する』という話ではなく、教科教育基準の詳細を示す『指導要領解説』に竹島が記述されるという話でありまして、これが直結して教科書に記述するという意味にはなりません。
 もしこれが『指導要領』に記述ということであれば、教科書編纂はこれに従わなくてはならないと規定されているわけでありまして、『指導要領記述=教科書記述』ともとれるのですが、『指導要領解説』に関して言えば必ずしも従わなくて良いことになっております。
 まぁ実際はこれに従って編纂しているものが大多数でありまして、事実上拘束されているといえばそうなんですが、しかし必ずしもイコールではないことを、まずはご理解いただければと思います。
 
 さて、そんな指導要領解説に対する竹島記述問題。
 先にも申しましたとおり、東雲なぞは物足りないながらもとりあえず一歩前進と考えていたんですが、例によって韓国がファビョり、そして例の如く弱腰首相&外務省が見直しを示唆ないし文科省に勧告するなんて事態が巻き起こっているようです。
 渡海文部科学大臣は竹島記述を押し通す所存のようですが、首相官邸はヘロヘロとへたれておりますようで、こんな状況になっております。
 ご覧下さい。
 
<以下引用>

「竹島」どうする指導要領解説書 領土明記、悩む政府

 新学習指導要領の中学社会科の解説書に島根県の竹島を「我が国固有の領土」と明記するかどうかで政府が対応に苦心している。文部科学省は記述する方針だが、韓国側が外交ルートを通じて見送るよう強く要請。最終的には福田康夫首相の政治判断となる可能性が高い。解説書の地方向け説明会が今月14日に迫るなか、識者らからは「明記は当然」「教育が外交に左右されてはならない」との声が相次いでいる。方針転換すれば批判が高まりそうだ。(小田博士)
 政府は「竹島は日本固有の領土で韓国が不法占拠している」との見解で一貫しているが、現行の学習指導要領と解説書で領土問題として例示されているのは北方領土のみだ。
 平成17年3月、当時の中山成彬文科相は国会で新指導要領に竹島も明記すると答弁したが見送られた。指導要領案が公表された今年2月は、韓国の李明博大統領就任や「シャトル外交」復活が重なり、政治的に配慮したからだ。
 韓国側は日本大使を呼んで「未来志向を目指す関係改善に逆行する」などと抗議。外務省は文科省に「日韓関係が悪化する」など懸念を伝えた。背景には李大統領の支持率低下がある。「領土問題で強硬姿勢を示さないと、さらに批判が強まる」(下條正男拓殖大教授)というのだ。
 李大統領は洞爺湖サミットに合わせて来日する。福田首相との会談が設定されるかは不透明だが、「会談が実現すれば、解説書の問題も言及するだろう。李大統領の顔を立てるのではないか」(文科省関係者)との観測もある。
 韓国は国定の教科書(中学・国史)で1ページにわたり竹島(韓国名・独島)問題を詳述している。昨年、日本より1年先だって指導要領を改定。2012年から実施する中3社会(地理)の解説書は「関連事件の考察を通し国土を守る努力の重要性を認識する。日本が継続的に国際紛争に訴えようとする意図を分析し、領土を守る方法も考える」と踏み込んだ。
 日本では国会議員から与野党を通じて明記を求める声が相次いでいる。
 日韓問題に詳しい西岡力東京基督教大教授は「日本政府の見解や対応は従来と同じで、韓国の反発は筋違い。外務省は反論すべきだ。解説書は内政問題であり外交の材料ではない。政府は教育的見地から毅然(きぜん)と対応すべきだ」。八木秀次高崎経済大教授も「過去の教科書問題では日本側が配慮しても韓国の反発は収まらなかった。政府が配慮すべきは、明記を要望する島根県だ」と話している。

 ■学習指導要領の解説書 小中高校などのカリキュラムの基準となる学習指導要領の改定に合わせ、文部科学省が編集、各教科ごとに指導要領の内容の詳細を補足するもの。指導要領と違い、法的拘束力はないが、教科書の編集は解説書に準じて行われている。

<iza! 7/6配信>

 もいっちょ。

<以下引用>

中学社会の指導要領解説書、「竹島」明記巡り調整難航
7月11日22時5分配信 読売新聞

 渡海文部科学相は11日、町村官房長官と首相官邸で会談し、中学校社会科の新学習指導要領の解説書に、韓国が領有権を主張する竹島を「我が国固有の領土」と新たに明記することについて協議した。

 結論は出ず、都道府県教委の担当者に中学解説書を示す前日の13日まで調整が続く見通しだ。

 渡海氏によると、会談の中で、渡海氏が「竹島問題は領土問題であるので、日本の立場を教育の場でしっかりと教えないといけない」と主張したのに対し、町村氏は「6か国協議や北朝鮮問題もある」と述べたという。北京で12日までの予定で開かれている6か国協議への影響を考慮して、結論を先延ばししたものと見られる。

 政府内には、日韓関係への配慮から明記に消極的な意見や「韓国を刺激しないような表現を考えて明記すればよい」との意見もある。

 この問題を巡っては、竹島問題が新学習指導要領に明記されなかったことに対し、自民党内から不満が出たことを受けて、文科省が解説書への明記を決めた経緯がある。

 これに対し、韓国側は強く反発。韓国の権哲賢(クォンチョルヒョン)駐日大使が、6月24日に安倍前首相、25日に山崎拓・自民党前副総裁と相次いで会い、竹島に言及しないよう求めるなど、政府・与党関係者に激しい陳情攻勢をかけてきた。

 福田首相は11日、首相官邸で、解説書で竹島に言及するかどうかについて「今、関係省庁で協議をしている。全体を考えて、総合的に判断する」と述べるにとどまった。

<Yahoo Newsより>

 もう一つ。

<以下引用>

「『竹島』明記は挑発行為」 韓国国会が決議
7月12日7時0分配信 産経新聞

 新学習指導要領の中学社会科の解説書に島根県の竹島(韓国名・独島)を「我が国固有の領土」と明記するかどうかをめぐり、韓国国会は11日、「文部科学省が明記しようとする行為は、韓国の主権、領土権を侵害する明白な挑発行為とみなし、即刻に中断する措置をとることを要求する」など明記しないよう求める決議案を採択した。主な内容は以下の通り。

【主文】

 韓国国会は、独島が歴史的、地理的、国際法的に、そして実効的にも明白に韓国の固有の領土であることを確固たるものとして再宣言し、日本の文部科学省の中学校社会科の学習指導要領解説書に領有権の明記を強行する動きに対して明白に反対し、次の通り決議する。

 (1)韓国国会は、韓国の固有の領土である独島について日本の文部科学省が中学校社会科の学習指導要領解説書に独島領有権を明記しようとする行為は、韓国の主権および領土権を侵害する明白な挑発行為とみなし、日本政府が即刻に中断する措置をとることを要求する。

 (2)韓国国会は、独島が歴史的、地理的、国際法的に、そして実効的にも明白に韓国の固有の領土である点を強調しつつ、日本政府のこのような行為は韓日間の未来志向的な善隣友好関係を深刻に毀損(きそん)する厳重な事態であることを警告する。

 (3)韓国国会は、日本文部科学省の独島領有権の明記行為を即刻に中止することを要求する韓国の努力に、アジア各国および国連をはじめとした国際社会が参加することを期待する。

<Yahoo Newsより>

 いやもう私呆れましたね。
 というか、怒りすら覚えますよ。
 
 これってつまり『日韓関係への配慮』とやらのために、これから日本を背負っていく子供への教育を犠牲にするってことですよね。
 本来持つべき日本領土への理解、現状における問題、そして日本に対する誇り諸々を犠牲にしてグラグラボロボロの『日韓関係』に配慮しろと、そういう話ですよね。
 
 私も一応(分野こそ違いますが)教育やってた人間ですので、教育軽視は許しがたいのですよ。
 
 本筋からは外れますが東雲は、教育系学部にも行ったことのない、塾やらなにやらで多人数教育の経験を積んだこともない、そんなノウハウも知らない人間が公教育の教壇に立つ現状を異常だと考えております。
 中には『教育実習行った』なんて威張る馬鹿もおりますが、たかが一ヶ月やそこらの『お客様待遇』で教育知ったつもりになるなド阿呆め、と、口汚くはありますが思うほどであります。
 教員免許持ってるのも一緒でありまして、あんなもん机上の授業受けて一ヶ月実習(+現在は一週間の介護実習)行きゃ誰だって取れるんですよ、現状では。
 いわゆるモンスターペアレントにはそんな紙切れ振りかざして威張り散らすカスもいるようですが、そんなもんなんですよ教員免許なんていうものは。
 
 医術は人の命を救うものですが、教育は人の命を育てるものであります。
 どこぞの学部を出たか知れないズブの素人に教鞭を握らせるのは、幼稚園児にメスを握らせるのと同じです。
 あなた幼稚園児にオペしてもらいたいですかってなもんです。
 少なくとも東雲はして欲しくありません。
 
 そしてそんな教育を軽視する風潮だからこそ、こんな『配慮のために教育を犠牲に』なんて発言が出てくるわけで、そんな現状に東雲は憤慨するのです。
 
 自国の領土について自国の子供に教育を施すのは当然で、それは国家の権利であり義務であります。
 また外交なんてものは本来自国の利益を最優先させるべきものであって、つねにメリット・デメリットを天秤に載せなきゃなりません。
 然るに『6か国協議や北朝鮮問題もある』などと、そんなん外交でしっかりしろよと、あまつさえ『李大統領の顔を立てる』ために教育を犠牲などふざけんなと、そういった話なのであります。
 
 連中、『未来志向を目指す関係改善に逆行する』なんて言ってますが、教育をズタボロにしてまで得る未来ってなんですか?
 竹島に無関心な、そして日本に無関心な人間を育て、誇りをもてないようにし、いつのまにやら領土まで掠め取られた先の未来ってなんですか?
 韓国植民地ですか? それとも中国日本省ですか?
 そんな未来まっぴらごめんです。
 ヒダリっぱには『隣国と仲良くしなきゃダメジャナーイ!』なんて無条件に騒ぎ立てる連中がおりますが、国益あっての友好関係です。
 国益を著しく侵害されてまで維持する『友好』に価値なんてありません。
 ましてそんな『友好』のために教育を犠牲にする道理など、ノミの目ン玉程度にもありはしないわけであります。
 
 加えて韓国では国会決議までしてこの問題にいちゃもんつけてますが、これは明確な内政干渉。
 これには強い口調で『ふざけんな』と怒鳴りつけてやらなきゃならないはずなんですが、『相手の嫌がることをしない』福田は『はぁはぁ、そうですね』とアホ丸出し。
 『竹島問題が解決しない限り国交を停止する。イヤなら国際法廷に出て来い』と、何故強くいえないのか、東雲には不思議でたまりません。

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2008年6月11日 (水)

『大学卒』に価値はなし

 昨今騒がれております雇用不安。
 中には『経済回復できない政府が悪い』と息巻く輩も多くおり、先日起こりました秋葉原における無差別虐殺事件のカスも派遣職員だったということで、これを原因に挙げるマスメディアも散見されております。
 これに関しましては他の稿でボロクソ書かせていただきますが、さてそんな雇用不安を例示するのに『大学出たのに仕事がない』というような文言をよく聞きます。
 確かに職にあぶれている非ニートの方々が多くいるのは事実ですが、ではこれに対して本当にその例示は有効であるのでしょうか?
 
 そもそも近年は『大学全入時代』と言われておりまして、入る大学さえ選ばなければ誰しも『大学卒』の肩書きが得られます。
 言ってしまえば誰もが持ち得る資格であって、ぶっちゃけちまえばこれっぽっちも有り難味がない。
 確かに『大学卒』を条件とする企業や職業も多く見られますが、あくまでそれは受験資格であり、就職を約束するものではないのです。
 
 なお、ここで誤解の無いようお願いしたいのですが、東雲は学歴を否定するつもりはさらさらありません。
 むしろ未だ厳然として学歴重視の風潮が残っており、それは実際は好ましいことであると考えております。
 こう申しますと『学歴重視が人格を崩壊させる』だの『見ろ! 秋葉原の事件起こした犯人だって県下トップの高校に行ってたじゃないか』だのと言った声が聞こえてきそうなものですが、そんなものは一部の特例に過ぎません。
 ぶっちゃけちまえば東雲も、このカスと同じような人生を送っています。
 自慢するわけじゃありませんが、中学卒業までは成績上位でチヤホヤされまして、都下トップクラスの高校に入学いたしました。
 しかしそこで現実を見せ付けられまして、英語などは毎回赤点毎回追試。
 大学はそれなりのところへ行きましたが、周りが東大やら千葉大やら行ってましたから、やっぱしコンプレックスはありましたよ。
 容姿もパッとせず、彼女いない暦なんぞ、あのカスより長いです。
 じゃあそんな東雲は無差別殺戮しなきゃダメですか?
 不謹慎な例とは存じますが、しかし結局そういった話、あくまで特殊な例なんですよ。
 大体学歴ある人間が全員人格崩壊してるってんでしたら東大は精神病棟ですか?
 んなわきゃない。
 東大卒で立派な人なんてたくさんいるし、高卒でどーしよーもない人間もたくさんいます。
 逆もまた然りでありますが、『勉強しすぎでおかしくなる』なんてのは結局のところ妄想です。
 つか、おかしくなるほど勉強する奴なんて未だかつて見たことねぇ。
 ともわれそんなわけでありまして、学歴を否定するのは甚だお門違いってなもんで、そも高卒までの学力ってのは(個人差はありますが)努力次第でどうにでもなるものでして、つまり有名大学に入れるっていうことはその程度の努力ができるってことでもあります。
 そういった意味で東雲は、学歴重視はあって然るべきであると考えているのです。
 
 ではその上で『大学卒』を否定する真意はどこにあるのか、という話でありますが、東雲は『有名大学卒』は有効と考えております。
 就職希望先が東大やら慶応、早稲田などを蹴るってのはあまり聞かない話ですし、また就職案内もそういった大学には集中的にばらまかれます。
 加えてそういった大学の教授などは企業と共同研究していたり、あるいは懇意だったり、また学会などで顔が売れていたりするため、教授推薦の口が多いことが結構ありますし、またその研究室の卒業生がパイプになってくれることもありまして、そういった意味でも『有名大学卒』の肩書きは就職に関して多大な影響を及ぼします。
 しかしだからといって聞いたこともない大学卒が同じ恩恵に与れるかといえば答えは否。
 『○○大学? どこよソコ?』と一蹴されるのがオチであります。
 加えてそういった大学は科研費(国が研究費用としてくれるお金)などの補助や企業からの支援も乏しく、あまり大した研究が出来ないことが多くありまして、そうすると教授の名前も売れてこない。(もちろん例外もあります)
 となれば教授推薦の口も減ってきまして、そもそも就職できないんですから先輩のつてを頼ることも出来ません。
 また当然ながら、『学歴を重視しない』企業であっても、それは二流以下の大学を優遇するということではありませんで、単に大学での判定を無くす(あるいは軽減する)というだけの話であります。
 つまり就職において『有名大学卒』は有用な資格になりえますが、単に『大学卒』ではこれっぽっちも意味がない、ということなのであります。
 
 では何故『大学出たのに仕事がない』と、あたかも『大学卒』が就職のパスポートのように言われるかと申しますと、これは結局過去の『一部の人間が大学へ行く』世の中において言われていた、つまり『大学卒=エリート』だった時代に起因しまして、それを未練たらたら現代まで引きずっているというだけの話であります。
 『大学卒=普通』の現代においてはそんな話が通用するわけもないんですが、未だそんな昔の価値観で論じようとする御仁もおられまして、だからこそ大学卒の若人はただ『どこでもいいから大学に行く』ことだけを目的としまして、実際大学を出てみたら就職先がないという事実に茫然自失するわけです。
 一部親にも『大学くらいは出ておきなさい』なんて言う方がいるようですが、単に『大学卒』では全くもって無意味ということを、そろそろ理解しなければならない頃だと思います。
 そんな無意味な『大学卒』という資格を得るために4年もの歳月を費やすのは愚の骨頂であり、ならば専門学校でも行って、もっと実用的な資格をとったほうがまだ有用ってもんであります。
 もちろん専門行って遊んでたら取れる資格も取れませんが、そんなん大学だって同じですから。
 むしろ普通の大学なんて教員免許くらいしか取れませんて。
 (ちなみに免許持ってても教師になれるとは限らない)
 
 蛇足ではありますが、ぶっちゃけてしまえば、本来大学行くのは一部の人間でいいんですよ。
 就職したところで専門知識を武器にやらなきゃならないのはごく一部。
 大体は就職先で仕込まれる技術を使って闘うことになるんですから。
 『大学全入』なんて不要です。
 さらに言えば大学数もこんなにいりません。
 一部上位校だけ残して、後は廃校すればいいんです。
 で、どうしても大学行きたければ必死こいて勉強しろってな話です。
 先述したように、個人差はあるにせよ、大学入試までの学力は努力次第でどうとでもなるんですから。
 それができなきゃ大学来るなって話です。
 教育を受ける自由? そんなもん、まず努力する義務を全うしてから言えって話ですよ。
 大体、大学数減らせば当然そこに割り振っていた補助金(私立含む)を自由に動かせますし、それを残った大学に割り振ればさらに深い研究もできるでしょう。
 そうなれば専門的な技術力も上がりますし、それに4年もぼけーっとしてすごす若者層が労働に従事できれば労働力の確保だってしやすくなるでしょう。
 わざわざ外から1000万人も連れてくる必要なんざございません。
 また18歳から納税させられればそれなりの税増収になると思いますが違いますか?
 
 昨今言われております技術力低下、(本当かどうかは知らないが)労働力不足、税収不足が下位大学潰すだけで一気に解消すると思うんですが、何で文部科学省は声高らかにこれを言わないんでしょうかね?

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2008年6月 8日 (日)

偏向した新人教育 (2)

 『在日外国人児童・生徒に関わる指導資料』と銘打ちながら、主として『在日韓国・朝鮮人』を取り上げた資料、その異常性は先稿で述べたとおりである。
 むしろこの時点で筆者はこの資料に欠片程度の価値もないと捉えていたりするのだが、それで終わってしまっては資料の検証にはなりはしない。表面のみを見て非難を繰り返してみたところで、本質にたどり着くことは稀有であり、またこういった洗脳資料が沸いてこないようにするためにも徹底的な糾弾が必要となるのである。
 そこで本稿ではまず、該当資料の『はじめに』を引用し、彼らの言うこの資料の『意義』、そしてその言の矛盾を指摘していきたいと考えている。

 まず当該資料の『はじめに』、すなわち前書きであるが、ざっと眺めた限りで一つ違和感を覚えるのである。通常、書籍の前書きなどには著者、または編者代表などの氏名が記される。いわゆる『文責』という奴であるが、しかるにこの資料にはそれがない。まさかと思って冊子全ページに目を通してみたのだが、本資料には後書きもなく、また奥付にも『編集・発行 某区人権尊重教育推進委員会』とあるだけで、誰が執筆、編集に関わったのかも記されてはいなかった。まあ、その必要性を彼らが感じなかったのかもしれないし、あるいは『編集・発行 某区人権尊重教育推進委員会』だけで十分と判断したのかもしれないが、どうにも筆者には生じた不信感を拭い去ることは出来なかった。すなわち故意に著者・編者の所属、あるいは性質を明らかにしないようにしたのではないか、という疑惑である。ちなみに他の新任教員研修資料(奥付のないパンフなど除く)には著者、編者が書かれていた。
 さて、そんな『はじめに』であるが、そこには『児童生徒が真の国際人として人権尊重を基盤とした「差別をせず、偏見をもたず、差別をゆるさない」豊かな心をもつことが大切です』とあった。交通機関が発達し、地球が縮小した今現在、確かに外国人と触れ合うことはままあるだろうし、周囲にもよく散見される。そんな中にあって国家、人種による差別が横行することは好ましくない。なるほど確かにもっともだと、この言には頷くのである。別に筆者は差別推進者というわけではない。本来は区別たる『差別』を別として、真の意味の差別がなくなればどれだけ良いかと思う善良な一般市民である。この言を否定する気などさらさらない。『理想論だ』などという言葉も聞こえてきそうだが、それでも理想を語らねば現実に昇華することなど出来はしないのだ。
 そんな理想を説く『はじめに』、しかしなぜかそのあとは一転、『在日韓国・朝鮮人に気を使え』と声高らかに差別を推進するのである。『外国人児童・生徒、とりわけ韓国・朝鮮人児童・生徒』などという書き方ではあるが、わざわざ『とりわける』必要が一体どこにあるというのか。特にこの『はじめに』では、当該地区に外国人児童・生徒が多くいる云々とした直後、いきなり『人権教育の課題の一つに外国人児童・生徒が本名就学できない問題がある』と続けるのである。当然ながら、本来通名を持たない外国人児童・生徒は、その本名にて就学する。本名就学云々が問題になるのは結局、在日韓国・朝鮮人だけなのだ。在日韓国・朝鮮人固有の問題をわざわざここに持ち出すことが『他の外国人との差別』でなくて一体なんだというのだろうか。しかもこの本名云々に関しては『韓国・朝鮮人児童・生徒の中には、過去の日本の植民地支配という歴史的経緯の中で生まれた差別や偏見があることなどから、本名を名のれないでいるものがいる』とその論拠を記しているが、もう唖然とするほかない。児童の就学の際、東京都では本名就学が推進されているが、おおよその親は通名就学を希望する。筆者もまたそうであったが、これは差別云々よりも『その方が日本での生活がスムーズにいく』という理由に基づいている。もちろん名前が(日本的な)普通と違うということで、それに起因するいじめを懸念する親もいようが、少なくともそこに『過去の日本の植民地支配という歴史的経緯の中で生まれた差別や偏見』なんていうものは、欠片程度も存在しない。大体、児童・生徒レベルのいじめが、そんな『分かりにくい』理由で発生などするものか。『名前が変』、これだけでいい。子どものいじめ、その原因は至ってシンプルなものである。それをわざわざ捻くれた歴史認識に帰着してくれるのだ。もしこれを本気で思っているのならば、いじめは絶対無くならない。
 閑話休題。
 ともわれそんなわけで、むしろ人権教育として必要であるのは、見た目で外国人と分かる人種(東南・南アジア系や黒色、白色人種)に関する指導・教育であり、通名で普通に過ごせば気にもされない在日韓国・朝鮮人に特化する必要などこれっぽっちもありはしない。然るに狂ったように『韓国・朝鮮ジイイイイィィィィン』と叫ぶのは異常の極みに他ならないのである。さらに『はじめに』の最後には『この指導資料を参考に、在日韓国・朝鮮人児童生徒の教育が推進されることを期待しています』と、『外国人児童・生徒』を無視して結んでいるのだから、もう『児童生徒が真の国際人として人権尊重を基盤とした「差別をせず、偏見をもたず、差別をゆるさない」豊かな心をもつこと』は不可能であろう。
 ともわれそんなトンデモ教材たる該当資料。次稿からは本格的に嘘偽りと異常性を指摘していきたいと思う。

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2008年4月20日 (日)

偏向した新人教育(1)

 現場教育において教員というのは極めて重要な要素であることは、もはや言うまでもないことである。とかく人格形成が不完全であり、また自己の社会の大部分が学校と家庭である小、中学生において、その影響は計り知れない。極論すれば、教師の良し悪しが児童生徒の良し悪しを決めるのだ。
 なれば新任教師教育というものは必要不可欠であり、現場教育においてそれは決して誤ることのできない最重要課題となる。とかく新任教師というのは、およそ二十代前半、ようやっと『被教育』から抜け出たばかりの若造である。特に昨今の若造は政治、社会の問題に疎く、慣例を知らず、またその大部分がこれまで教壇に立ったことがないものだから、いざ教鞭を握ってみると、どうすればいいのか分からずにテンパってしまうのである。そんな『白紙』の若造を教育しようというのだから、その労力は並々ならない。およそ考えうる最高の教材を使い、最高の教員を充て、最高の空間で教育を施すことが肝要なのである。
 だから、である。筆者は驚愕した。『在日外国人児童・生徒に関わる指導資料』なる、嘘八百を並べ立てた新人教育用資料を目の当たりにして、愕然としたのである。
 
 『在日外国人児童・生徒に関わる指導資料』、厳密には『在日外国人児童・生徒に関わる指導資料 -主として在日韓国・朝鮮人児童・生徒の指導について-』というこの資料。筆者はこのタイトルを見た時点で既にこの資料の異常性に気付いていた。すなわち、なぜ『在日韓国・朝鮮人』を『主』としたのか、ということである。
 戦前、戦中および大戦直後に日本に移動してきた韓国・朝鮮人の一族で、現在児童・生徒にあたるのは、移動してきた方々を初代と考えておよそ三、四代目である。かく言う筆者も、既に帰化しており、また十年ほども前に中等教育を終了してはいるが、日本移住者の三代目にあたり、韓国・朝鮮とのつながりはほぼゼロと言っていいほどに希薄である。いかに韓国・朝鮮人といえど、生まれ、育ちともに日本であれば、(朝鮮学校へ行くなどの特殊な例を除き)日本で生きるのに不都合などなく、また同じ東北アジア系ののっぺりとした顔であることから、黙っていれば区別が極めて難しい。つまり、賛否両論あるかもしれぬが、黙っていれば『在日児童・生徒』は『日本人』として生きることが可能なのである。私事で恐縮だが、実際筆者も(当時は知らなかったのだが)自らが在日であることを言わず、それゆえいわゆる『差別』というものを受けたことがなかった。結局『児童・生徒』にあって在日韓国・朝鮮人か否かなど、その程度の些細なものなのである。『在日外国人』であっても『在日韓国・朝鮮人』に関していえば、いくらかの手続きの際に気を配り、あとは彼らが『在日韓国・朝鮮人』であることをあまり強調しないようにすれば、教師の児童・生徒に対する仕事としてはおしまいとも言える。
 然るにこの資料では『主』として『在日韓国・朝鮮人』を取り上げるのである。『在日外国人』に関わる指導だ。本来ならば、例えば日本語の拙い、または文化が全く違う西洋、東南アジアやイスラムなどの国々の児童・生徒を取り上げるべきだろう。訛りや肌の色などの差異に対し、児童・生徒は確かに残酷である。それがいじめの原因になることは確かにありうる。だのに資料を確認したところ、そういった『在日外国人』に関する記述はほぼ皆無であり、徹底的に『韓国・朝鮮』が取り上げられているのである。これを異常と言わずして何と言う。
 結局のところこの資料は、先述したとおり嘘八百並べ立てた、在日韓国・朝鮮人ひいては韓国・朝鮮にいつまでも頭を下げ続けなさいと教えるような洗脳教材であった。『在日外国人指導』の名を借りて洗脳教育を行おうというのだから、全くとんでもない話である。
 なお、この編集・発行は『墨田区人権尊重教育推進委員会』であるが、墨田区のウェブサイトで確認してみたところ、この某委員会に関しての詳細はなく、ただ教育委員会事務局指導室の業務概要に『人権尊重教育推進委員会の運営』とあるだけだった。単に筆者の調査力不足かも知れないが、筆者には公に出来ないような『闇』にも感じられる。
 現在墨田区に当該資料の修正および公知、『人権尊重教育推進委員会』なるものの詳細公表を申し入れているが、さて、どうなることだろう。
 
 本稿では本当は当該資料の一ページ目『はじめに』を精査していく予定であった。しかしタイトル一つでここまで指摘するべき点があるのである。一筋縄では行くまい。当該資料は全二十七ページ。このわずか二十七ページが、一体筆者にどれほどの文章量を強要するのか、筆者の心は今、不安と期待と呆れに満ち溢れている。

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2008年4月 3日 (木)

偏向した新人教育(0)

 とゆーわけでお久方ぶりの東雲です。
 昨今『お久方ぶり』のテンプレート化が懸念されます『おみょ的思考時折記録』でありますが、タイトルにもございますとおり『時折記録』が本ブログのコンセプトでありまして、もしくは仕様……ごめんなさい、もうちょっと頑張ります。
 
 とゆーことで本稿……と申しますか本シリーズでありますけれども、今回取り扱いますのは新任教員教育に関しまして。
 本シリーズと致しましたのは、少々突っ込みどころが多すぎで幾つかの稿に渡るためでございます。
 さすがに27ページ全てに突っ込みどころが満載なこの資料をたった一稿でまとめますのは、我が文才では不可能でありますため、まことに申し訳ありませんが、ご覧頂きます皆々様には少々お時間をいただきたく存じます。
 なお、極力高い頻度で追加していこうかとは考えておりますが、やはり都合上更新が遅れるような場合がございます。
 その際はご了承ください。
 
 さて、ではなんでそんなテーマがきたかと申しますと、実はとあるルートからかなり歪んだ新任教員研修の資料を入手しまして、これは皆様にご報告せねば、と。
 まぁぶっちゃけ、妹が教員になるっつーんで参加した研修の資料を暇つぶしに流し読みしてたら捨て置けんものがあったと、まぁそういったわけではございますが。
 
 閑話休題。
 
 ともわれそんな許されざる資料、それが『在日外国人児童・生徒にかかわる指導資料 -主として在日韓国・朝鮮人児童・生徒の指導について-』。
 
 見ろこの開き直りっぷり。
 『主として』なんて書いてますが、わざわざ副題で『在日韓国・朝鮮人』とか書く辺り、この編者の心の祖国や思考っぷりが手に取るように分かるってもんです。
 これで編集が『人権尊重教育推進委員会』ってんだから笑わせます。
 ここまで来ますとこれがどんな資料であるか、聡明な閲覧者様方はもうお気付きかもしれませんが、結局のところ『在日韓国・朝鮮人の児童・生徒に『格段の配慮』をしなさいよ』というお話です。
 ちなみに『格段の配慮』とは『ひいき』もしくは『ぎゃくさべつ』と読みます、はい。
 
 もうね、なんともスンバラシイ内容でありますよ、この資料。
 
 とりあえず初っ端の第一章から、『在日韓国・朝鮮人はなぜ日本に多く住んでいるのですか』(原文ママ)と、在日『外国人』何処行った? な偏向っぷりですからね。
 次稿ではこの辺りの話(というかページ)を元に色々と突っ込んでいきたいと思います。
 
 なお次稿以降、本シリーズにおいては文体変更で行っていきます。
 いかんせん長くなる可能性がありますので、敬語だと読むのに少々わずらわしいか、との判断ですが、ご了承ください。

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2008年2月13日 (水)

いじめ対策 どちらかと言うと意識変革

 とゆーわけで東雲です。
 ん~、やっぱしムラが多いなぁ……何とかしないと……。
 
 さて、ともわれ本日は連投2稿。
 まず最初の記事はこちらでございます。
 ご覧ください。

<以下引用>

「いじめをしません」 舞鶴・白糸中 バッジで宣言
2月12日19時19分配信 京都新聞

 京都府舞鶴市の白糸中(浜)で12日、「いじめをしません」と宣言してバッジを付ける取り組みが始まった。いじめ被害は口頭で友人や教職員に訴えにくいことから、いじめを見かけたり、いじめられた時はバッジを外してSOSを伝える試み。
 一昨年秋、部活中などに衣服がなくなる出来事が相次いだため、学級単位で「いじめをしない」というスローガンを廊下に張り出すなど、再発防止活動を進めてきた。
 オリジナルバッジは金属製。円形で直径2・5センチ。表面の模様はハートマークを両手で囲む生徒の案を採用した。美術教員が淡い緑と黄色で色づけし、「HotHeartShiraito(温かい心白糸中)」との文字を添えた。
 1年生と3年生はそれぞれ、「みんなと仲良くします」「誰とでも笑顔で接します」と後野文雄校長に誓ってバッジを受け取り、胸元に着けた。2年生には13日に手渡す。教職員も付ける。
 後野校長は「いじめ被害を言いにくければバッジを外してほしい。教諭たちがすぐに相談に応じるから」と呼びかけていた。

<Yahoo Newsより>

 昨今騒がれておりますいじめ問題。
 その解決のために色々と対策が取られておりますが、そのうちの一つがこれ。
 香川県の亀阜小学校でも同様のシステムがとられております。
 
 さて、本件に対してネットを検索してみたのですが、その大抵は批判的な意見。
 『バッジ外したら余計いじめられるやん』との意見が大勢でありました。
 まぁそれはそれ、もっともな意見でありまして、単純に『意思表示』という観点から見ればまったくの無意味であります。
 もし教師陣が本気で意思表示効果があるとか、あるいは『HotHeart Shiraito』なんて書いて喜んでいると言うのであれば、東雲も『アフォか』というのでしょうが。
 
 ただ、本件に関してはネットで(いや、ここもネット上ですが)展開している以上の効果があるのではないかと東雲は考えています。
 まぁ、『本来』の意図に対して効果が殆どゼロという話なのかも知れませんが。
 そもそも告発が人に見られるなんて危険があるなら、学校側がいじめ相談電話的なものを設置すればいいわけですしね。
 学校という身近な組織が大々的に電話番号配れば牽制にもなるでしょうし。
 ただ、本件に関しては東雲は児童生徒の意識改革に繋がるのではないかと考えております。

 そもそもいじめが起きる場合にはおおよその場合、集団対個人ないし少人数の構図が描かれます。
 ……まぁ、個人が大多数をいじめてるなんて話はまず聞いたことありませんが……。
 しかし、それではその集団が強固なものかと言われれば、それについてはノーと答えるほかありません。
 いじめの図式はおよそ3要素から成り立っており、それは『いじめる中核』『いじめられる中核』『傍観者』であります。
 そしてこの『いじめる中核』と『傍観者』が『いじめる集団』にあたります。
 たいていの場合、人数比率が『傍観者』>『いじめる中核』>『いじめられる中核』でありますので、いじめられる側は膨大な人数にいじめられるということになります。
 そしてそれこそがいじめられる側が感じる『誰も助けてくれない』という心理、プレッシャーを生み出すのです。
 結果、いじめられる側は教師だろうと親だろうと、口外しにくくなってしまうわけです。
 まぁ、もちろんそれだけの理由ではありませんが……。
 
 ここまで申し上げて、しかし『『傍観者』に責任はないじゃないか』と仰られる方もいるかもしれません。
 しかし残念ながら『傍観者』がいじめを許容する限り、『いじめる中核』は問題を問題と感じず、いじめを続行するのです。
 教室とは小さな社会であり、『傍観者』が生み出す空気は世論であります。
 国が世論に振り回されるのに教室が世論に振り回されない道理がありません。
 むしろ集団心理を考えれば、人格が確立していない児童生徒の社会、すなわち教室のほうが、世論には左右されやすいのです。
 山本七平は著書『空気の研究』にて集団心理を育む土壌はその場の『空気』であると述べていますが、その『空気』を生み出しているのは間違いなく『傍観者』なのです。
 そしてこの『空気』はいじめる側からいじめられる側への排他主義を助長します。
 そしてさらにその排他主義がいじめの原動力になる悪循環。
 そういった意味で、『傍観者』もいじめる側に位置するわけありまして、また『傍観者』から『いじめる中核』に転ずる場合も少なくありません。
 
 ただ、実はこの『傍観者』にも2パターンありまして、それが『いじめに肯定的な集団』『いじめに否定的な集団』であります。
 およそ告発などで問題を解決するのが『いじめに否定的な集団』であり、先述したような『いじめる中核』に転ずるのが『いじめに肯定的な集団』であります。
 これらの比率は実際のところ不明、というよりケースバイケース、その教室を取り巻く環境によって左右されます。
 そしてこれこそがいじめを解決するための一つの重要なファクターであり、本件において東雲が有効であると考える部分です。
 すなわち『傍観者』の大勢が『いじめに否定的な集団』となれば、先のような『空気』は醸成されなくなり、また実質的な話としていじめを告発しやすくなるわけです。
 その根源、いわば『いじめをさせない空気』のスタート地点がこのバッジであるわけです。
 まぁもちろん児童生徒の人格形成が不完全である以上、善悪の価値を徹底する必要があり、その点から考えればこのバッジだけでは足らず、本来ならば毎朝毎夕大声で宣誓させたり、いじめというものを、それこそスプラッタ映画並みに残酷な映像として提示したりと、徹底的な精神教育を施す必要があるとは思いますが。
 ただこの『いじめをさせない空気』が醸成されれば、集団心理の観点からも物理的な告発の観点からもいじめが発生しにくくなるわけです。
 一般にいじめと言うのはいじめる側の快楽および優越感のために引き起こされるのですから、自ら排除されるなんていう苦痛を感じてまでいじめたいと思うのは稀であります。
 どえらいマゾならどうかしりませんが、そういう輩はむしろいじめられる側を好みそうな感じがありますね。
 
 ともわれ、本件は単純に『意思表示』と考えれば無意味なものでありますが、『いじめをさせない空気の醸成』と考えれば、それなりの効果があるのではないかと東雲は考えます。
 えぇもちろん、継続的な意識変革が必要ではありますが。
 『これでおしまい』なんて丸投げすんなよ、白糸中。

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2008年1月22日 (火)

記名ミス そんなもの自己責任だろ

 とゆーわけで早々に三本目、東雲です。
 本記事でも変わらずセンター試験のお話です。
 
 こちらをご覧ください。

<以下引用>

試験監督が指示ミス=氏名記入、開始前に伝えず-徳島大

大学入試センター試験の徳島大(徳島市)会場で19日、試験監督者が公民の試験で受験生に解答用紙への氏名記入を指示しなかったことが分かった。氏名を書かなかった受験生がいる可能性があるとして、同大は受験した60人に対し、再試験の意向について確認している。
大学入試センターによると、監督者はマニュアルに沿って、試験開始前に口頭で記入上の注意をすることになっている。
しかし、徳島大会場の一室で、監督者が受験番号や氏名、受験科目などの記入指示を忘れたまま、1時間目の公民が終了した。その後の科目では記入を指示したという。

<時事ドットコム:2008/01/19-23:52配信>

 いやいやいやいや、そんなもん自己責任ですじょ?
 
 大体、氏名欄に名前を書くなんてのはマンガでネタにされていたほどに有名な話ですよ。
 大体問題用紙の表紙にその旨書いてありますし、一番最初に記名するのは基本中の基本。
 小学校辺りで言われませんでしたか? 『名前書かないと0点』って。
 私一度記名し忘れて『名無しの権兵衛』って書かれて答案返されたことありましたよ。
 もちろんその際に『先生が記入指示しなかったから悪いんだ!』なんて言っちゃいません。
 むしろそんな小学生いたらドタマひっぱたいてやりますよ。
 
 今回の記事は単に『指示してなかったこと』についてのみ取り上げており、それに対するクレームなどなどは現在調査中のようですが、しかしこれにイチャモンつけるアフォは問答無用で切っていいと思いますよ。
 大学側もそんな『解答用紙には記名が必要』なんて常識(もしくは注意力)も持たない学生欲しくないでしょうし。
 先の『暗闇教室事件』はまだ外的要因、自身の判断ではどうにもならないものでしたが、こっちは完全に自己責任ですから。
 
 まぁまだ記名忘れがいるか分からないところですが、仮に記名忘れていたとしても『自分の責任なんだからしょうがない』と、大学目指す人間ならきちんと認識して欲しいなと、東雲はそう思うのでございます。

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たかだか2~30秒 変わらねぇ

 とゆーわけで二本目、東雲です。
 先の記事でも書きましたように、今日は大学なお話で。
 今度は先日行われたセンター試験のお話です。
 
 こちらをご覧ください。

<以下引用>

リスニング中消灯、学長謝罪=109人が再試験申し出-成蹊大

19日に実施された大学入試センター試験の英語リスニング中に会場内で照明が消えた問題で、成蹊大学(東京都武蔵野市)の栗田恵輔学長(65)が20日、同大で記者会見し「受験生ならびに関係者に迷惑を掛け、深くおわび申しあげる」と陳謝した。会場にいた再試験の対象者855人のうち、109人が再受験を申し出た。
同大によると、英語リスニング中の午後6時20分、照明消し忘れ防止用の自動消灯システムが作動し、大学内の全試験会場(16カ所)で約2~30秒間照明が消えた。試験監督者が照明をつけ直し、試験は続けられた。
このシステムは、平日は午後8時10分に作動するが、19日は土曜日で授業がないため、同6時20分に設定されたままになっていた。大学側は「解除し忘れた。管理体制を再点検する」と述べた。

<時事ドットコム:2008/01/20-19:40配信>

 一言で申せば『たかだか2~30秒 変わらねぇ』という話でありまして、実際残り746人については再受験を申し出ておりません。
 あるいは『集中力が途切れたああぁっ!』とか『答え覚えてたのに忘れたああぁっ!』とか言うのかも知れませんが、その程度の集中力ないしおぼろげな記憶で試験を受けようってのがどうにも……。
 いや、試験受けるのは自由ですけどね、少なくとも私は塾講師時代、その辺りも鍛えましたよ。
 まんま今回と同じように、たまに部屋の電気消したりとか……。
 いかんせん私の請負は中学校三年生、高校受験を対象にした生徒でしたから、センター試験でされるような騒音対策などなどそういったものは基本としてありません。
 ですから如何様にも対応できる状態、といいますか耐性を付けることも必須だったわけです。
 ……と、いいますか、きっちり勉強して確たる記憶として頭の中においてあれば、多少集中力途切れたとしても問題ないと思うんですけどね。
 
 もしかしたら傾向分かったから再試験までにそこを勉強して云々、とか考えているのかもしれませんが、そんなんして自分の実力以上の大学行ったっていいことありません。
 たかだか2~30秒の暗闇に惑わされる程度の実力なら、ワンランク下の大学行った方が充実したキャンパスライフ送れると思いますよ?
 
 とかく、2~30秒で騒ぐよりはまずきちんとした学力付けてこいよと、そう思う東雲です。

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理系イジメか?

 とゆーわけで東雲です。
 今日は三本、いずれも政治とは離れて大学なお話です。
 
 まずはこちらをご覧ください。

<以下引用>

国を待てぬ…京大が全国初「学内環境税」
1月21日23時31分配信 産経新聞

 温室効果ガスを削減するため、学部や研究科ごとに一定割合で課金する「学内環境税」(環境賦課金制度)を検討していた京都大学は21日、各部局から電気などのエネルギー使用量に応じて年間総額1億2000万円を集め、省エネ設備への更新に充てる制度の詳細を正式に発表した。企業や自治体を含め、環境税の先駆けとなる制度を導入するのは国内で初めて。環境対策のテストケースとして注目を集めそうだ。
 京大では、研究施設の整備に伴って温室効果ガスの排出量も年々増加し、現在、平成2年の約2倍の年間約14万トン。このため、昨年4月に省エネルギー推進方針を策定、具体的な削減策を検討していた。
 温室効果ガスの削減目標を毎年2%と定め、空調や照明などを消費エネルギーの少ないものへ改善することなどで達成する方針を決めた。費用は年間約2億4000万円と見積もっており、大学本部経費から1億2000万円を支出し、残る半分を各学部・研究科など計50部局から集めることにした。
 ガス・水道を含めた学内全体の年間光熱費は約20億円。各部局ではそれぞれの光熱費の約4・5%分が徴収される。最も高額になるのは医学部付属病院の約2700万円。次いで工学研究科の約1900万円、医学研究科の約860万円となる見込みという。
 制度は今年4月からスタートし、5年間実施。その後は改めて協議する。集めた資金の具体的な使途は新たに設置する組織で検討する。
 国はすでに環境税の具体案をつくっているが、産業界からの反対で実現していない。東京都などの一部の自治体でも独自に導入を検討しているが、具体化までには至っていない。
 大嶌幸一郎・京大環境安全保健機構長(工学部教授)の話 「地球温暖化防止のためには、議論ではなく行動を起こすことが重要だ。今年から始まった京都議定書の約束期間に合わせて実施する。学内の目的税といえ、賦課金は最終的には各部局に還元されることになる」

<Yahoo Newsより>

 理系イジメか?
 
 初めてこの記事を確認したときの感想がこれでした。
 いや、省エネを否定するつもりはまったくもってないんですが、こいつはどうにも理系、特に実験系に不利な話だなぁと、そう思ったわけでございます。
 そもそも理系は文系と違い(一部を除き)紙とペンだけで何とかなる分野ではありません。
 実際にモノを作ったり、分析したりするわけでして、当然そこにはエネルギーが必要となります。
 いくら省エネと切り詰めてみたところで限界があるもので、特に分析機器などはおよそ1メーカーに頼っていたりするもので、そもそも省エネ対応というような概念がありませんし、また実験で延々一週間加熱するなんてこともざらでございます。
 生物系であれば培養機器は年がら年中付けっぱなしにする必要があるでしょうし、物理系でプラズマやってる人間などは多大な電力を必要とします。
 それらと、やろうと思えばいくらでも省エネできる文系とをひっくるめて一括に『環境税』と言われても、それはイジメにしか思えないのです。
 極端な話ですが、文系に紙とペンと懐中電灯だけ渡して『やれ』と言えば、(目は悪くなるでしょうが)できるとは思います。
 ですが理系に『やれ』と言えば、『無理』と即答されるのがオチなわけです。
 別に強情に反対しているのではなく、実際に、物理的に『無理』なわけです。
 記事にも『最も高額になるのは医学部付属病院の約2700万円。次いで工学研究科の約1900万円、医学研究科の約860万円』とありますが、とかく理系はエネルギーを使うのです。
 唯でさえカネが必要な理系でありまして、そこに更にデカい出費となれば、研究が後退すること請け合いです。
 だって500mg(およそ耳かき半分くらい)で1万から2万するような試薬を使うことだってあるんですよ?
 私なら『できるかヴォケエエェェッ!』と他大に逃亡すること請け合いです。
 それとも負担増加分を国が幇助してくれるんでしょうか?
 研究、学問に焼け石に水程度のカネしかかけない国がですか?
 ありえません。
 産業界が嫌がるのもこのあたりだと思いますよ。
 まぁムダもあるんでしょうが、必要量に加算される分だけでも大打撃、それを国は担保してくれず、じゃあ価格に上乗せ、ってことになれば消費者が離れていく。
 アナタハワタシニ首吊レ言イマスカ?
 産業界とすればそう思うでしょうね。
 
 重ねて申し上げますが、東雲は別に省エネを否定するつもりはありません。
 ただ、必要な部分というものがどうしてもあるわけでして、その分を考慮せず一括にやるというのはいかがなことか、とそう思うのです。
 例えば必要な量の概算を報告させて、そこを外した上で残りの『削れる部分』について課税するなんてやり方でもいいんではないかな、とそう思うのです、東雲は。

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