2008年6月 8日 (日)

偏向した新人教育 (2)

 『在日外国人児童・生徒に関わる指導資料』と銘打ちながら、主として『在日韓国・朝鮮人』を取り上げた資料、その異常性は先稿で述べたとおりである。
 むしろこの時点で筆者はこの資料に欠片程度の価値もないと捉えていたりするのだが、それで終わってしまっては資料の検証にはなりはしない。表面のみを見て非難を繰り返してみたところで、本質にたどり着くことは稀有であり、またこういった洗脳資料が沸いてこないようにするためにも徹底的な糾弾が必要となるのである。
 そこで本稿ではまず、該当資料の『はじめに』を引用し、彼らの言うこの資料の『意義』、そしてその言の矛盾を指摘していきたいと考えている。

 まず当該資料の『はじめに』、すなわち前書きであるが、ざっと眺めた限りで一つ違和感を覚えるのである。通常、書籍の前書きなどには著者、または編者代表などの氏名が記される。いわゆる『文責』という奴であるが、しかるにこの資料にはそれがない。まさかと思って冊子全ページに目を通してみたのだが、本資料には後書きもなく、また奥付にも『編集・発行 某区人権尊重教育推進委員会』とあるだけで、誰が執筆、編集に関わったのかも記されてはいなかった。まあ、その必要性を彼らが感じなかったのかもしれないし、あるいは『編集・発行 某区人権尊重教育推進委員会』だけで十分と判断したのかもしれないが、どうにも筆者には生じた不信感を拭い去ることは出来なかった。すなわち故意に著者・編者の所属、あるいは性質を明らかにしないようにしたのではないか、という疑惑である。ちなみに他の新任教員研修資料(奥付のないパンフなど除く)には著者、編者が書かれていた。
 さて、そんな『はじめに』であるが、そこには『児童生徒が真の国際人として人権尊重を基盤とした「差別をせず、偏見をもたず、差別をゆるさない」豊かな心をもつことが大切です』とあった。交通機関が発達し、地球が縮小した今現在、確かに外国人と触れ合うことはままあるだろうし、周囲にもよく散見される。そんな中にあって国家、人種による差別が横行することは好ましくない。なるほど確かにもっともだと、この言には頷くのである。別に筆者は差別推進者というわけではない。本来は区別たる『差別』を別として、真の意味の差別がなくなればどれだけ良いかと思う善良な一般市民である。この言を否定する気などさらさらない。『理想論だ』などという言葉も聞こえてきそうだが、それでも理想を語らねば現実に昇華することなど出来はしないのだ。
 そんな理想を説く『はじめに』、しかしなぜかそのあとは一転、『在日韓国・朝鮮人に気を使え』と声高らかに差別を推進するのである。『外国人児童・生徒、とりわけ韓国・朝鮮人児童・生徒』などという書き方ではあるが、わざわざ『とりわける』必要が一体どこにあるというのか。特にこの『はじめに』では、当該地区に外国人児童・生徒が多くいる云々とした直後、いきなり『人権教育の課題の一つに外国人児童・生徒が本名就学できない問題がある』と続けるのである。当然ながら、本来通名を持たない外国人児童・生徒は、その本名にて就学する。本名就学云々が問題になるのは結局、在日韓国・朝鮮人だけなのだ。在日韓国・朝鮮人固有の問題をわざわざここに持ち出すことが『他の外国人との差別』でなくて一体なんだというのだろうか。しかもこの本名云々に関しては『韓国・朝鮮人児童・生徒の中には、過去の日本の植民地支配という歴史的経緯の中で生まれた差別や偏見があることなどから、本名を名のれないでいるものがいる』とその論拠を記しているが、もう唖然とするほかない。児童の就学の際、東京都では本名就学が推進されているが、おおよその親は通名就学を希望する。筆者もまたそうであったが、これは差別云々よりも『その方が日本での生活がスムーズにいく』という理由に基づいている。もちろん名前が(日本的な)普通と違うということで、それに起因するいじめを懸念する親もいようが、少なくともそこに『過去の日本の植民地支配という歴史的経緯の中で生まれた差別や偏見』なんていうものは、欠片程度も存在しない。大体、児童・生徒レベルのいじめが、そんな『分かりにくい』理由で発生などするものか。『名前が変』、これだけでいい。子どものいじめ、その原因は至ってシンプルなものである。それをわざわざ捻くれた歴史認識に帰着してくれるのだ。もしこれを本気で思っているのならば、いじめは絶対無くならない。
 閑話休題。
 ともわれそんなわけで、むしろ人権教育として必要であるのは、見た目で外国人と分かる人種(東南・南アジア系や黒色、白色人種)に関する指導・教育であり、通名で普通に過ごせば気にもされない在日韓国・朝鮮人に特化する必要などこれっぽっちもありはしない。然るに狂ったように『韓国・朝鮮ジイイイイィィィィン』と叫ぶのは異常の極みに他ならないのである。さらに『はじめに』の最後には『この指導資料を参考に、在日韓国・朝鮮人児童生徒の教育が推進されることを期待しています』と、『外国人児童・生徒』を無視して結んでいるのだから、もう『児童生徒が真の国際人として人権尊重を基盤とした「差別をせず、偏見をもたず、差別をゆるさない」豊かな心をもつこと』は不可能であろう。
 ともわれそんなトンデモ教材たる該当資料。次稿からは本格的に嘘偽りと異常性を指摘していきたいと思う。

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2008年4月20日 (日)

偏向した新人教育(1)

 現場教育において教員というのは極めて重要な要素であることは、もはや言うまでもないことである。とかく人格形成が不完全であり、また自己の社会の大部分が学校と家庭である小、中学生において、その影響は計り知れない。極論すれば、教師の良し悪しが児童生徒の良し悪しを決めるのだ。
 なれば新任教師教育というものは必要不可欠であり、現場教育においてそれは決して誤ることのできない最重要課題となる。とかく新任教師というのは、およそ二十代前半、ようやっと『被教育』から抜け出たばかりの若造である。特に昨今の若造は政治、社会の問題に疎く、慣例を知らず、またその大部分がこれまで教壇に立ったことがないものだから、いざ教鞭を握ってみると、どうすればいいのか分からずにテンパってしまうのである。そんな『白紙』の若造を教育しようというのだから、その労力は並々ならない。およそ考えうる最高の教材を使い、最高の教員を充て、最高の空間で教育を施すことが肝要なのである。
 だから、である。筆者は驚愕した。『在日外国人児童・生徒に関わる指導資料』なる、嘘八百を並べ立てた新人教育用資料を目の当たりにして、愕然としたのである。
 
 『在日外国人児童・生徒に関わる指導資料』、厳密には『在日外国人児童・生徒に関わる指導資料 -主として在日韓国・朝鮮人児童・生徒の指導について-』というこの資料。筆者はこのタイトルを見た時点で既にこの資料の異常性に気付いていた。すなわち、なぜ『在日韓国・朝鮮人』を『主』としたのか、ということである。
 戦前、戦中および大戦直後に日本に移動してきた韓国・朝鮮人の一族で、現在児童・生徒にあたるのは、移動してきた方々を初代と考えておよそ三、四代目である。かく言う筆者も、既に帰化しており、また十年ほども前に中等教育を終了してはいるが、日本移住者の三代目にあたり、韓国・朝鮮とのつながりはほぼゼロと言っていいほどに希薄である。いかに韓国・朝鮮人といえど、生まれ、育ちともに日本であれば、(朝鮮学校へ行くなどの特殊な例を除き)日本で生きるのに不都合などなく、また同じ東北アジア系ののっぺりとした顔であることから、黙っていれば区別が極めて難しい。つまり、賛否両論あるかもしれぬが、黙っていれば『在日児童・生徒』は『日本人』として生きることが可能なのである。私事で恐縮だが、実際筆者も(当時は知らなかったのだが)自らが在日であることを言わず、それゆえいわゆる『差別』というものを受けたことがなかった。結局『児童・生徒』にあって在日韓国・朝鮮人か否かなど、その程度の些細なものなのである。『在日外国人』であっても『在日韓国・朝鮮人』に関していえば、いくらかの手続きの際に気を配り、あとは彼らが『在日韓国・朝鮮人』であることをあまり強調しないようにすれば、教師の児童・生徒に対する仕事としてはおしまいとも言える。
 然るにこの資料では『主』として『在日韓国・朝鮮人』を取り上げるのである。『在日外国人』に関わる指導だ。本来ならば、例えば日本語の拙い、または文化が全く違う西洋、東南アジアやイスラムなどの国々の児童・生徒を取り上げるべきだろう。訛りや肌の色などの差異に対し、児童・生徒は確かに残酷である。それがいじめの原因になることは確かにありうる。だのに資料を確認したところ、そういった『在日外国人』に関する記述はほぼ皆無であり、徹底的に『韓国・朝鮮』が取り上げられているのである。これを異常と言わずして何と言う。
 結局のところこの資料は、先述したとおり嘘八百並べ立てた、在日韓国・朝鮮人ひいては韓国・朝鮮にいつまでも頭を下げ続けなさいと教えるような洗脳教材であった。『在日外国人指導』の名を借りて洗脳教育を行おうというのだから、全くとんでもない話である。
 なお、この編集・発行は『墨田区人権尊重教育推進委員会』であるが、墨田区のウェブサイトで確認してみたところ、この某委員会に関しての詳細はなく、ただ教育委員会事務局指導室の業務概要に『人権尊重教育推進委員会の運営』とあるだけだった。単に筆者の調査力不足かも知れないが、筆者には公に出来ないような『闇』にも感じられる。
 現在墨田区に当該資料の修正および公知、『人権尊重教育推進委員会』なるものの詳細公表を申し入れているが、さて、どうなることだろう。
 
 本稿では本当は当該資料の一ページ目『はじめに』を精査していく予定であった。しかしタイトル一つでここまで指摘するべき点があるのである。一筋縄では行くまい。当該資料は全二十七ページ。このわずか二十七ページが、一体筆者にどれほどの文章量を強要するのか、筆者の心は今、不安と期待と呆れに満ち溢れている。

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2008年4月 3日 (木)

偏向した新人教育(0)

 とゆーわけでお久方ぶりの東雲です。
 昨今『お久方ぶり』のテンプレート化が懸念されます『おみょ的思考時折記録』でありますが、タイトルにもございますとおり『時折記録』が本ブログのコンセプトでありまして、もしくは仕様……ごめんなさい、もうちょっと頑張ります。
 
 とゆーことで本稿……と申しますか本シリーズでありますけれども、今回取り扱いますのは新任教員教育に関しまして。
 本シリーズと致しましたのは、少々突っ込みどころが多すぎで幾つかの稿に渡るためでございます。
 さすがに27ページ全てに突っ込みどころが満載なこの資料をたった一稿でまとめますのは、我が文才では不可能でありますため、まことに申し訳ありませんが、ご覧頂きます皆々様には少々お時間をいただきたく存じます。
 なお、極力高い頻度で追加していこうかとは考えておりますが、やはり都合上更新が遅れるような場合がございます。
 その際はご了承ください。
 
 さて、ではなんでそんなテーマがきたかと申しますと、実はとあるルートからかなり歪んだ新任教員研修の資料を入手しまして、これは皆様にご報告せねば、と。
 まぁぶっちゃけ、妹が教員になるっつーんで参加した研修の資料を暇つぶしに流し読みしてたら捨て置けんものがあったと、まぁそういったわけではございますが。
 
 閑話休題。
 
 ともわれそんな許されざる資料、それが『在日外国人児童・生徒にかかわる指導資料 -主として在日韓国・朝鮮人児童・生徒の指導について-』。
 
 見ろこの開き直りっぷり。
 『主として』なんて書いてますが、わざわざ副題で『在日韓国・朝鮮人』とか書く辺り、この編者の心の祖国や思考っぷりが手に取るように分かるってもんです。
 これで編集が『人権尊重教育推進委員会』ってんだから笑わせます。
 ここまで来ますとこれがどんな資料であるか、聡明な閲覧者様方はもうお気付きかもしれませんが、結局のところ『在日韓国・朝鮮人の児童・生徒に『格段の配慮』をしなさいよ』というお話です。
 ちなみに『格段の配慮』とは『ひいき』もしくは『ぎゃくさべつ』と読みます、はい。
 
 もうね、なんともスンバラシイ内容でありますよ、この資料。
 
 とりあえず初っ端の第一章から、『在日韓国・朝鮮人はなぜ日本に多く住んでいるのですか』(原文ママ)と、在日『外国人』何処行った? な偏向っぷりですからね。
 次稿ではこの辺りの話(というかページ)を元に色々と突っ込んでいきたいと思います。
 
 なお次稿以降、本シリーズにおいては文体変更で行っていきます。
 いかんせん長くなる可能性がありますので、敬語だと読むのに少々わずらわしいか、との判断ですが、ご了承ください。

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