2007年7月 9日 (月)

赤ん坊を放置した時点で保護責任者遺棄だろう

 とゆーわけで連投の東雲ですが、本記事ではこんな記事を取り上げてみたいと思います。

<以下引用>

乳児放置死夫婦に執行猶予=保護責任者遺棄罪認めず-名古屋地裁
7月9日13時1分配信 時事通信

 愛知県豊明市で昨年5月、生後2カ月の長男をパチンコ店駐車場に止めた乗用車内に約5時間放置し、死亡させたとして、保護責任者遺棄致死罪に問われた会社員竹内祐人(25)と妻理恵(24)の両被告に対する判決公判が9日、名古屋地裁であった。村田健二裁判長は「車内の温度が危険なほど高温になるとの認識はなく、保護を怠ったとまでは言えない」として、同罪の成立を否定。重過失致死罪を適用し、それぞれ禁固1年6月、執行猶予3年(求刑懲役3年)を言い渡した。

<Yahoo Newsより>

 えー、米国では確実に有罪でございます。夫婦が車に子供を置いてちょっと買い物行っただけで逮捕ですよ。
 というか、このくらいの乳児はうつ伏せで寝ただけで窒息しちまうことすらあるんです。赤ん坊を放置した、その時点で保護者としての義務を放棄したとして問題ないと思いますが。
 というか、赤ん坊を放っておいて遊び呆ける親、どうよ?
 杉村大蔵といい、最近親の自覚に欠ける親が増えてると思います。
 こりゃ本当に『親学』がいりますな。
 しかし、昨今の日本で騒がれております高齢化、裏を返せば経験豊富な人材が数多くいるということだと思うのですが、それを有効に利用できない現状、どうよ?
 福祉だーなんだーと騒ぎ立てる人間は多いですが、そういったところにも力を入れていかないと結局破綻してしまうんではないかと思うんですが、いかがでしょうか。

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2007年6月17日 (日)

これって単なる育児放棄じゃ?

 とゆーわけで、日曜朝っぱらからこんな記事を書いております東雲でっす。
 世間様では仲いい男女が和気あいあいとやっているのに、独り身のなんと寂しいことでしょう。
 我が妹は秋ごろ二児目を産むというのに、いやはやこの差は一体何ぞ?
 ……とまあ、ちょっぴしブルー入ってみたりなんかしちゃってる東雲でございますが、本日はそんな話を一本取り上げたいと思います。
 
 こちらをご覧ください。

<以下引用>

赤ちゃんポストにまた男児、「育てられない」とメモ添えて
6月16日22時18分配信 読売新聞

 親が養育できない新生児を託す熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)の「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」に12日夜、生後2か月とみられる男の赤ちゃんが預けられていたことが16日、関係者の話でわかった。健康状態は良好という。

 赤ちゃんポストの利用は、運用初日の5月10日午後に預けられた3歳前後の男児に次いで2人目とみられる。メモ紙が添えてあり、生年月日や名前のほか、「育てられない」という趣旨のことが書かれていた。

 同病院は、運用開始から半年か1年ごとに利用件数や性別などを公表するとしており、個別の事案については一切明らかにしない方針。

 赤ちゃんポストは同病院の新生児相談室の壁に設けられた扉を開け、室内の保育器に赤ちゃんを入れる仕組み。扉が開くとブザーが鳴り、医師らが駆けつける。病院は警察や市、児童相談所に連絡することになっている。

<Yahoo Newsより>

 正直な話、私はこの件についてどんな感情を抱いていいのか分かりません。

 ……いや、この言い方は正しくありませんね。
 実際のところ、記事を見てまず沸いてくる感情があります。『育てられないならなぜ産んだ?』『これは単なる育児放棄じゃないのか?』という、怒りにも似た感情です。
 しかし一方で、それもまたやむを得ないのかと思う自分もいるのですから、まったくもって分からなくなります。
 私の中で『育てられないならなぜ産んだ?』という考えが前提になっているのは確かです。しかし、望まずにできた子を中絶するのも育てるのも自分にとって苦痛でしかない、そんなケースがあることも確かで、一概に『育てられないならなぜ産んだ?』と思うことができないのです。
 
 断っておきますが、『経済的な理由で』とか『育児が困難で』なんて馬鹿げた理由で育児放棄かます親に同情するつもりなどノミの足の先っぽ程度にもありません。それこそ『育てられないならなぜ産んだ?』、というよりも『なぜ子を成したのか』と思うのです。
 そういう行為を否定するつもりはありませんが、子を産み育てる責任が持てない以上、その行為自体に厳重に注意しなくてはならない、その責任はあると私は考えています。
 また、あるいは『最初はちゃんと育てるつもりだったけど精神的に困難』なんてのたまう馬鹿もおりますが、そういう輩には言葉は悪いのですが『首吊って死ね』と言いたくなります。そうすればその子に(いかほどかは分かりませんが)遺産が入っていきますし、どこか養子となるにしたってわだかまりが小さくなりいいでしょう。
 『子供はかわいい』なんで誤解を抱いたままろくに勉強もせずに子供を成し、理想と違うと育児放棄する、そんな輩に存在価値などないと私は考えるのです。
 
 しかし、自らの意思とは関係なく、具体的には強姦されるなどによって子を成したとなれば話は別でしょう。親がその子に苦痛と嫌悪と憎悪を抱けば、それは親にも子にも、更には親族にも不幸なことであります。そこから逃避したとして、無責任にその親を責め立てることなどできるはずがありません。
 
 だからこそ、私はこの『赤ちゃんポスト』というものに条件付で賛成なのです。そしてその条件を満たしていない現状であるから、私はタイトルに疑問符を付けたのです。
 
 今現在の状況においては、親は誰に知られることなく子供を放棄することができます。それこそ、これ以外に救われる方法がないというような切実な理由から、どうしようもないほどに馬鹿げた理由に至るまで、あらゆる理由で子供を放棄することができてしまうのです。
 私、この現状が極めて異常であると思います。
 親が自らの保護者責任を放棄する、責任を放棄するからには、何がしか明確で相応の理由が必要です。提示された理由をきちんと審査して、それが妥当かどうかを見極めた上で判断を下すべきだと東雲は思うのです。
 無論、その基準が何であるか、どの程度までを妥当と見なすかという問題は至極難しいものだと思います。
 ただ、だからといって清濁併せ呑むように育児放棄を認めるというのでは余りにもお粗末、余りにも無責任でございます。
 親のプライバシーがどうのなんて話もあるようですが、本来責任を放棄する時点でその親は何がしかのペナルティを負ってしかるべきなのです。
 
 この『赤ちゃんポスト』というシステム、そのあたりのことをもう一度考え直さなくてはならないのではと、東雲はそう思うのです。

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2007年4月 4日 (水)

せめて高校生までは

連続投稿二本目!
というわけで珍しく同日二本目の投稿でございます。
明日のために取っておけば、と思われるかもしれませんが、前々から言われておりましたテーマなのでどうしても取り上げたいと、そう思った次第でございます。

さらに本報から文体を『ですます系』の口語で構成しなおそうかと考えております。
いや、最初は『さぶいぼ』が、とか思っていたんですが、書いてみるとそれほどでもなく、偉そうな文体のほうが書きやすいかな、と思ってみたものの実際やってみると勢いで書けず。
実際それが遅筆の一因であったわけでもありまして、本報からは気分一新しようかと思い立った次第でございます。
そんなわけで今後ともお付き合いくだされば幸いです。

というわけで、今回のテーマはこれ。
<以下引用>

子育て終えたら「働きたい」女性9割超す、現実は半分
4月3日19時38分配信 読売新聞

 小学生以上の子供を持つ30~40歳代の女性の9割以上が働くことを希望しているが、実際に働いている人は半数前後にとどまり、理想と現実に大きな開きがあることが、内閣府が3日公表した「女性のライフプランニング支援に関する調査」で明らかになった。

 既婚女性に理想の働き方を聞いたところ、子供が「3歳以下」で、働くことを希望する人は42・2%だった。子供が「4歳から小学校入学」では、働く希望が72・3%に急増し、「小学生」では90・6%、「中学生以上」では95・1%に達した。

 これに対し、実際に働いている女性は、子供が「4、5歳」で37・4%、「6~11歳」で44・1%、「子どもが12歳以上」で54・7%にとどまった。 

<Yahoo Newsより>

女性がどんどんと社会に進出している昨今、男性と同様に仕事に遣り甲斐や、さらには生き甲斐を感じる女性も多いものです。そして実際、男性よりも『やる』女性というのはざらに見られるご時勢になってまいりました。(いや、もともと場が無く力が発揮できていなかっただけかもしれませんが)
そんな中で出産、育児後また働きたいという女性の増加は自然であると思います。子を要らないなどと言ってしまう女性もいる中、子を成し、そしてまた仕事に復帰したいと願うそのバイタリティは尊敬に値するものであります。
しかし、上の記事を見る限り、その時期が早すぎるのではないか、と思うのであります。……いや失礼。上の記事の書き方がまずいのかもしれませんが、『子育て終了』の認識が早すぎるのではないか、ということです。

子どころか結婚もしたこと無い若造がこのような話をするのは少し違うかもしれませんが、私は『子育て終了』というタイミングがもしあるとするならば、それは高校卒業であると考えています。
これは別に高卒ならそこそこ就職があるから、とかそういった理由ではなく、その時点で子が人間として成立するということです。
もちろん人による差異はありますが、大体の人間が中~高生にかけて一個人となることを考慮すると、このタイミングを『子育て終了』とするのが妥当ではないでしょうか。

さてこんなことを言うと『一個人となる』ってなんだ? と思われる方もいるかもしれませんが、これは第二次成長期、すなわち思春期を終えることを意味します。
一般に思春期には、身体的な成長はもちろん、精神的にも爆発的な成長が起こります。中でもアイディンティティの確立、要は自分が自分であると認識することは、『一個人となる』上で重要であります。

自分と他者が違うと認識し、自分が自分であると認識する。至極当たり前のように聞こえますが、実は思春期までの子供というのはこの辺りがあいまいであったりします。
集団心理、という言葉がありますが、これは合理的な是非もなく、ただなんとなくで周りと同一の認識になる、そのようなことを示します。
もちろん成人にも見られる現象でありますが、個人が確立していない子供に多く見られ、特に小、中学生の女子に強くその傾向が見られます。
小、中学校時代を思い出してみてください。女子のグループがいくつか存在し、クラスのほとんどの女子はそこに所属していませんでしたか? そこでは同一の価値観が存在し、別の価値観をもつ人間がいじめなどで排他される、そんなことはありませんでしたか?
成人ではおおっぴらにできないようなそういったことが、小、中学校では行われているのです。自分と相手が同じ価値観を抱いていると考えてしまい、違う価値観を持っていることが知れると裏切られたと感じてしまう。成人なら『他人は他人』と考えるでしょうが、この頃の子供はなかなかそう思えません。自分が自分で他人と違うという、そういった認識があいまいなために、そのような変な共同意識を持ってしまうのです。
例えるならば歩き始めた赤ん坊でしょうか。
歩き始めた(第一次成長期(3歳程度)で自我を持ち始めた)はいいが、その足取りはふらふらで危なっかしい。ともすれば倒れそうになる、そんな赤ん坊。
あなたなら、こんな赤ん坊を放っておけますか?
思わず手を差し伸べたくなるんではないでしょうか。
きちんと歩ける(アイディンティティが確立する)まではなかなか目が離せないなぁ、とそう思ってしまうんじゃないでしょうか。
さらに小から中、高に上がるにつれて、環境は激変します。それにともない、思考や悩みも激変するのです。
そんな時、親の手が借りられなかったら。

私は別に子を成した後で仕事をすることを否定するつもりはありません。女性にも大いにその腕を奮っていただきたいと思います。
しかし、少なくとも高校を卒業する辺りまでは子供は人間として不完全であり、親が歩行器として助けてあげなくてはならないと思うのもまた事実です。
然るに上の記事は『子育て終了』の時期を早く判断しすぎているのではと思うのです。

男性、女性の区別をつける気はさらさらありませんが、どちらか片方の親でも家にいてくれたなら、子にとっては良いのではないかと思います。

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